たまな
秋田のお婆ちゃんは
キャベツのことを
たま菜と呼んでいた
味わいのある
ことばだ
野菜売り場に
ほとんどまん丸の
キャベツを見つけた
これこそ
たまなである
秋田のお婆ちゃんは
キャベツのことを
たま菜と呼んでいた
味わいのある
ことばだ
野菜売り場に
ほとんどまん丸の
キャベツを見つけた
これこそ
たまなである
強い台風10号の接近で、雨が降ったりやんだり。屋久島あたりにいる台風が前線を介して関東甲信にも雨を降らせている。
久しぶりに車でスーパーへ買い物に行く。野菜や液体のものはすぐ重くなる。主婦は大変だなとあらためて思う。棚を見渡すと、ずいぶん物価が上がっていることに気づく。価格は同じでも容量が減っていたりするから、実質値上げのものも多い。
噂どおり、米が棚から消えている。買いだめ騒動のきざしがある。こまったことだ。
妻は自転車で買い物をする。手で持つよりらくだし、行動範囲が広いが、あまりたくさんは買えない。とくに雨が降ったりしていたら。だから、とても喜ばれた。近所のいなげやさんが来春まで工事中なので、かなり不便になっている。炎天下の買い物はあぶない。
午後は床屋さんに行った。床屋さんで話を聞くのは面白い。ある意味、町の情報源だ。だれだれが亡くなったとか、どこそこの息子が結婚したとか、新しい食べ物屋さんができたとか・・・ 髭を当たってもらうころにはうたた寝だ。これが心地よい。夢見心地になる。
ひげは
毎日そる
髪は
ときどき切る
ありがたい
大國魂神社の祭礼のとき、境内のお店で買った曲げわっぱの弁当箱。白木に塗りものをしてあるが、この色が気に入ったので買った。今日で2度目だが、軽くて手ざわりがいい。材料は杉だという。以前、テレビで曲げわっぱを作るところを見たが、職人技がいる。
今日はのごはんは玄米。おかずはコロッケと鮭、鮭の下に蒸し野菜。いままではタッパーだったが、これからはこの弁当にする。一緒に勝った箸もいい。
以前は、魔法瓶式の弁当箱で、保温が効いたが、とにかく重くてかさばる。それでタッパーに。仕事場では熱いお茶が飲めるので、この曲げわっぱのほうがいい。なんとなく木のぬくもりを感じる。
弁当箱を
タッパーから
曲げわっぱにした
木の温もりが
なんともいえない
ご存知の通り、いま登戸・向ヶ丘遊園駅のまわりは再開発事業がすすみ、むかしの姿はほとんど消えてしまった。登戸駅の南側には35階建てのタワーマンションができるし、北側はほとんどがビルばかりで、まだ公園も整備されていない。
そこで、少しでも昭和の雰囲気を保とうと登戸ゴールデン街なるビルができ、古い町の雰囲気を少しでも残そうと言うことになった。ま、中高年にはホッとするコーナーが残ったことになる。むかしの多摩マーケットあたりになるかな。
向ヶ丘遊園駅の北口には登戸銀座通りがあったが、あちらもビル街になり、名前はどうなるのだろう。実際、遊園地はだいぶ前になくなったのに駅名は、向ヶ丘遊園駅だ。
毎日
通っていても
どんどん変わる登戸
たまに来たら
面食らうだろう
きのうは鎌倉を歩いてくたびれたので、家でくつろいでいた。それから散歩に行こうと思ったら、うちの前の道を大勢の人がフロンタウンの方へ向かって歩いて行くので驚いた。なんだろうと思ってその流れに加わったら、フロンタウンの中のみんなの広場でフリーマーケットが開かれているそうだ。いつも、この日は星が丘のユリストアの前の広場と、そこから伸びる通路で開かれていたのだが、今年からフロンタウンになったらしい。
23日にフリーマーケットがあるということは知っていたが、それがフロンタウンになったことは知らなかった。野球場よりもひろい広場に区画がつくられ、いろんなお店が出ていた。メインは古着だが、おもちゃ、手芸品、食器、野菜、焼きそば、綿菓子など、すきまなく並んでいた。このころは寒いことが多いが、ことしは暖かいので店を出す人も楽だったに違いない。
私はプーマのジャケットを、妻は帽子をゲットした。1000円の値札がついていたが、500円なら買うよと言うと、800円にしてくれた。こういうやりとりもフリーマーケットの楽しみである。
特設舞台では、子供太鼓や獅子舞なども披露された。写真は川崎純情小町の4人が歌と踊りでイベントを盛り上げているところ。
パンや白菜なども買った。知り合いにも何人か会えて雑談した。コロナ以来、地元の人ともあまり会わなかったから、よかった。午後はまだ暖かかったので草むしりをした。2時間もやると、腰が痛くなった。すぐ夕暮れだ。
10日ほど前に、近くのあさひでんきの売り出しがあり、出向いて行った。13年愛用していたテレビがおかしくなったからだ。一番の問題はリモコンなのだが、修理してもうまく直らないし、生産もしていないという。
テレビもそろそろ寿命が来ているから買い替え時だと思った。店で見たら液晶より有機ELのほうがきれいに見えたので48V
古いのも同店で購入したPanasonicだから、リモコンの使い方が似ているので助かる。前のは39型だったがこんどは48型で、かなり大きくなった。少しテーブルをテレビから離すとまあまあだ。こんなでかいテレビを長時間見ていたら目をわるくするな、と直感した。
こんどのリモコンはやたらボタンが多い。YouTubeやネットフリックスなども見られるらしい。スマホを介せば見放題という。たくさん便利な機能がついているのにマニュアルはひどく薄い。ゆっくり使い方に慣れていくしかない。
有機ELテレビは
想像以上に
画面がきれいだ
4KもOK
技術は進歩する
新しいテレビの
リモコンは
ボタンが多い
字が小さい
老眼にはきつい
きょう夕方
はじめて
金木犀の匂いを
嗅いだ
今年は一度咲きだろう
猛暑の予報なので、午前中にホームセンター「DCMくろがねや」に行った。9時開店と、ここは他の店舗より30分早い。肥料や種、野菜の支柱を買い、クッションや首に巻くクーラー、作業用手袋、支柱除草剤などを買った。ホームセンターは何でもそろうので、つい余計なものを買ってしまう。11時前に車のドアを開けると、中は炎熱地獄。尋常でない暑さだ。
早々と家に帰って、『五行歌』8月号を読み始めた。これが400頁近くあるから、なかなか読みでがある。私は今月は特集になっており「半世紀前の旅」の題で、大学2年のとき、返還前の沖縄、台湾、香港と一人旅をしたときのことを16首の五行歌にまとめた。五行歌全国大会の作品集も送られてきたが、こちらは後回しになる。
今日は定休日。町田の小田急デパートに靴を買いに行った。近所にいい靴屋さんがあったのに閉店してしまったからだ。
靴の量販店やワークマンもいいが、シューフィッターのいるところでちゃんとした靴を買いたかったからだ。ところが、デパートの様子もちょっと変。不況の影響か人出も少なく、靴屋さんも少なくなってしまった。
それでも履き心地のいい靴が見つかり満足。あとは無印良品でパジャマや肌着、シャツなどを買った。完全セルフレジなのには驚いた。どうりでスタッフが少ないわけだ。
8階で食事をしたが、空は真っ青、丹沢や奥多摩の山々がパノラマとなって見える。高いビルがないのがいい。残念ながら富士山は霞んでいた。
無印良品という
ネーミングがいい
だから
無印ではないが
良品が多そう
たまたま、NHKの「幻の絶版車をさがせ」という番組を見た。そうとう前に製造中止になった車でまだ動くものを探す、というのである。そこに、くろがねベビーの写真が出て来たので驚いた。うちで叔父が初めて四輪車を買ったときの車だからだ。
スタッフはパソコンを駆使し、1960年ごろの写真や映像の中からくろがねベビーを見つけ、その車体に書いてある文字を頼りにあちこちに電話をする。米屋、酒屋、豆腐屋など。だが、写真は残っていても車は残っていない。しかし、とうとう福岡県に古い車を収集している人がいることをつきとめた。
現地に飛ぶと、100台以上の絶版車が倉庫に並んでいた。その中にミゼットと並んでくろがねベビーが鎮座していた。動きますかと聞くと、動きますよという。エンジンをかけるとセルモーターだけの音。だが修理すればすぐ走るようになりますと断言する。
一週間後、その試乗会が開かれた。くろがねベビーは東急くろがね自動車という会社が作ったらしい。この車を設計した人も見つかった。91歳でお元気だ。本人も驚いていた。実際に乗ってみて感激していた。2気筒4サイクルエンジンにしたのは静かさの追求だったとか。とにかく軽く、安くを目安に、298,000円とし、2年間で2万台が売れたそうだ。
だが、そのあとスバルサンバーやダイハツハイゼットのど後発の軽四輪が出て、会社は傾いてしまった。多くの仲間は富士重工に移り、スバルサンバーの開発に手を貸したらしい。くろがねベビーはリアエンジンのスペースが小さかったため水冷のポンプがなく、故障が多かったということだ。
私が中学生のとき、叔父が初めてこの車を買った。360㏄だ。リアエンジンが特徴で、前に大人2人が乗ってもとても安定性がある。荷台は横から紐をひっぱりあげると下に開くようになっていた。
私は叔父のいないときに運転台に乗り、クラッチを踏み、H型のギアを入れ、前後に車を動かして感動したのを覚えている。多少は道路に出て走ったこともある。当時はダイハツ・ミゼットとかマツダ・キャロルなど、軽は三輪車ばかりだったから目立ったものだ
車体は白っぽいベージュだった気がする。荷台とリアエンジンはキャンバス地(帆布に防水加工したもの)の幌が取り付けてあった。色は深紅だった。とにかく、いかに安くできるかを追求した車だった。叔父が亡くなったあとは、知人の青年が運転してくれた。これで、新宿なども走ったことがある。運転席に2人、荷台に4人の子供が乗った。おまわりさんに見つかるといけないので、幌は開けなかった。
実に懐かしい車である。
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