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旅行・行事

2024.02.18

三十五日

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一月に亡くなられた方の35日の法要が行われた。親戚が多く、また故人が地区の役職をなさっていたためか、参加者は50名近くにのぼった。マイクロバス2台でお寺に行く。お寺の梅園もほぼ満開だ。それほど寒くないので、お寺には暖房も入っていなかった。

お焼香のあと、めずらしくお坊さんが話をしてくれた。故人が長いあいだ、お寺の総代をしていたり、本堂の新築のための建設委員をしていたこともあり、ていねいに労いのことばを述べた。

式のあと、再びマイクロバスで住まいの近くの墓地に移り、納骨を行った。それからお線香をあげて、終了。会食はなく、参加者にはお弁当と引き出物がくばられた。一連の手順を準備した遺族は大変だったろうと思う。でもこれで、一区切りがついた。世代が変わる。


時がたてば
世代交代の
時期がくる
これは
避けられない

2024.02.15

深大寺

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定休日。午後、車で深大寺に行った。門前の駐車場は700円から800円になっていた。平日だが、ほぼ満車である。まず深大寺にお参りし、神代植物公園に行く。深大寺では3月3日、4日に「だるま市」をするらしく、その準備が行われていた。境内の紅梅、白梅も満開だ。もうピークを少し越えたのもある。

お寺の左手裏側にまわると、神代植物公園の深大寺口がある。そこから入ると「うめ園⇒」と矢印があり、すぐ梅園に行ける。正門からは反対側になるので、この入口が便利である。梅園はよく整備され、かなり広い。だから、紅梅、白梅、ピンク色、薄緑など、いろんな種類の花が楽しめる。梅園に近づくと、あの上品な梅の花の香が漂ってくる。

訪問者が多いが、園内も広いので、あまり気にならない。ただ、気に入った花の写真に撮るとき、ちょっと待つぐらいだ。梅の花は人を静かにさせ、落ち着かせるようだ。とにかく、ゆっくりと気のすむまで観梅ができる。奥の方には蝋梅もあり、まだあまり散っていない。

 

桜にくらべて
梅は地味だが
落ち着きがある
華やかでなく
つつましやかである


広いバラ園にも
寄ったが
みなていねいに
剪定され
噴水も控えめだ

2024.02.11

牧野記念庭園

朝ドラ「らんまん」の主人公、牧野富太郎の住居があった練馬の大泉学園に行ってきた。駅から5分ほどのところに、こじんまりした「牧野記念庭園」があった。いまは練馬区が管理しているらしい。

「らんまん」の放映が終わってから一段落したせいか、訪問者は思っていたほどでなかったが、祝日なのでだんだん増えてきた。多いときは入場制限をしたらしい。

入場は無料で、入口を入ると、さっそく「スエコザサ」が出迎えてくれる。妻の壽衛の名をつけたササである。仙台で発見したという。クマザサよりほそく表面にうぶげが生えており、すこし内側に丸まっているのが特徴らしい。そこには博士が妻に捧げた句碑がある。

 家守り 妻の恵みや 我が学び 
 世の中の あらんかぎりや スエコザサ

記念館には博士の遺品や関連資料が展示されている。ここには植物採集の道具、描画道具、手書きの植物図、出版物などが展示されている。朝ドラを見てきたこともあるが、その本物に出会えて感慨も一入である。とくにムジナモという食中植物の絵は非常に細密で、これを仕上げるのに何日かかっただろう、などと想像してしまう。

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書籍展示室は博士が暮らしていた旧居であり、分厚い図鑑や洋書がならぶ。そこには新聞紙に挟まれた標本もうず高く積まれていた。本物は大学や高知の牧野記念館に寄贈されているらしい。ここはよく再現されていて、当時がしのばれる。

講習室というのもあり、そこではセミナーや植物標本をつくる実技なども教えることがあるという。ビデオがあって、見たいものを押すと、牧野庭園の紹介や、植物の説明などが映像でながれる。

裏庭にキッチンカーが止まっていて、コーヒーを売っていた。豆から挽く香りのいいコーヒーで、それを呑みながら庭のベンチでくつろぐ。博士はコーヒー好きだったらしい。きょうは暖かいが、まだあちこちに雪が掻き寄せてあったから、練馬は寒いのだろう。

 練馬区立牧野記念庭園 (makinoteien.jp)


牧野博士も
さかな君も
ひとつのものに
とりつかれ
鬼になる

2024.02.08

針供養

もう10年ぐらい前のことになるが、2月8日、新宿の正受院というお寺で針供養が行われるというので行った。12月8日に行う所もあるらしい。

だいたい裁縫などにつかう縫い針が多いが、折れたり曲がったりした針を豆腐に刺し、供養するのである。治療に使う針も供えている。当日は甘酒がふるまわれたそうだが、雨が降って来たので、早めに撤収してしまい、われわれは本堂にお参りしただけだった。

以前、鍼灸師たちが浅草の伝法院に集まって針供養を行っていたが、あれは真夏の8月9日だった。はりきゅうの語呂に合わせてそう決めたのだ。本堂いっぱいに鍼灸師があつまり、講演会や籤引きなどを行ったのを懐かしく思い出す。あれはいつのまにか立ち消えになってしまった。

今は、ときどき江の島に行き、針の管(くだ)を創案した杉山和一先生のお墓参りをしている。その管を毎日使わせてもらっているからだ。折れ曲がった針は、医療廃棄物の業者に出している。

正受院にはりっぱな針塚があった。養老孟先生の虫塚にくらべたらかなわないが、道具に対し、生き物に対し、ねぎらいの心を持つことはいいことだと思う。


イチローも
大谷翔平も
道具を大切にする
そこらへんから
違うんだな

2024.02.01

お弁当です

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吾妻山展望台、ランチタイム


ほとんど雲がないのに、富士山だけ少し隠れている。なんだかみんなが菜の花畑を見ながら、あるいは富士山をみながら並んでお弁当を食べている風景がおかしくて写真におさめた。平日でこれだから、土日はさぞ賑やかだろう。

右のほうは丹沢や大山が見えるし、左のほうは相模湾で、ベタ凪の海。箱根や真蔓、伊豆半島、なども見える。暖かい日だった。

春の色は
何色
もちろん
黄色だね
黄緑もOK


今日から
二月
きさらぎだ
旧暦の
三月下旬か


ねがわくは
花の下にて
春死なん
それその如月の
望月のころ

2024.01.31

菜の花と富士

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吾妻山公園(二宮ニノミヤ)


菜の花の
向こうに
白い富士
雲さん
どいて


300段の
石段の上は
山道そして
展望台
相模湾光る


道々
水仙の花
桜が
咲けば
絶景!

2024.01.26

浄慶寺

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浄慶寺の冬桜

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マスクをしてマスクを縫う羅漢さん

川崎・浄慶寺の御朱印とアクセス方法

浄慶寺は柿生駅から歩いて10分ぐらい。平日なら駐車場も混まないだろう。浄土宗のお寺はあじさい寺としても有名だ。水曜日に行ったときは、人も少なく、冬桜が迎えてくれた。門を入ると、たくさんの羅漢さんが目を楽しませてくれる。

マスクをしてマスクを縫う羅漢さん、ワクチンを打つ人、いやいや打たれる人、パソコンをやる人などさまざまだ。バットを持った大谷選手とペッパーミルをひねるヌートバー風の羅漢さんもあったが、あれはやりすぎだ。ま、浄土宗だから大衆にも仏性が備わっているという意味なのだろう。

奥の山では紅白の梅が咲き始めている。しかし、まだ寒い。

とつぜん『梁塵秘抄』の歌を思い出した。

遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそゆるがるれ

遊ぶために生まれて来たのだろうか。戯れるために生まれて来たのだろうか。遊んでいる子どもの声を聞いていると、私の身体さえも、遊びたくてうずうずしてしまう。ま、人生は楽しまければという意味だろう。私は五行歌に出会えて幸せである。

2024.01.25

叔母と面会

きのうは定休日。午後3時からリハビリセンターにいる叔母に面会の予定だったので、午前中は寺家ふるさと村を歩いてみることにした。平日なのに四季の家の駐車場はほぼ満車。

まずは寺家の熊野神社の階段をのぼり、参拝する。そこに子供たちが10人ぐらい遊んでいた。その子たちはみんなサンダルに裸足で、どの子も薄着だった。とにかくよく走り回る。子どもは風の子というが、その通りだ。付き添いの先生に聞くと、NPO法人・自然保育園「どろん子」の子たちで、とにかく、子供をほっておいて走りまわらせるのが園の方針だという。

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子どもは素足にぞうり

自然保育園どろん子 (wearedoronko.org)

今の親は、子どもがケガをしたら危ないといって、あまり外でからだを動かすことをさせない。だから、家にこもってゲームなんかをやっている。手足を思いっきり動かすだけで脳が発達するという学者もいるくらいだ。

夏は暑いでしょうと先生に言うと、夏はほとんどプールか水遊びですという。スズメバチなどが出るからだそうだ。熱中症もあるからだろう。とにかく子供を自由に遊ばせることを目的にした保育園のようだ。ほんとに、みんな元気である。

妻が下り坂が苦手だというと、「こっちの枝につかまるといいよ」とか「こっちの段々になったところを降りたらいいよ」などと教えてくれる。私も一回すべって尻餅をついたが、大人は体重があるから危ない。子どもは軽いので、すばやく動ける。

ひとまわりしたらお腹がすいたので、四季の家で食事をした。私は刺身定食、妻はけんちんうどんを食べた。それから3時までは時間があるので、琴平神社に行ったり、浄慶寺に行っていろんな羅漢さんをみた。王禅寺にも足をのばし、禅寺丸柿の原木を見てきた。

叔母は麻生病院で股関節の手術をして、となりの総合リハビリテーションセンターに移っていたが、思ったより元気だった。てっきり車椅子だろうと思っていたが、歩行器を使ってちゃんと歩けるようになっていた。

食べ物もまあまあらしい。あいかわらず耳が遠いので会話は手こずったが、顔もすこしふっくらしたようだ。ただ足が冷たい。これは昔からだ。使い捨てカイロを持っていったが、前のが余っているし、病院は低温火傷を心配してあまり使わせないようだ。腰巻でもすればいいのにと思ったが、病院にまかせるしかない。面会時間は15分。来月からもう少し長くなるようなことをスタッフが言っていた。

寺家ふるさと村で買った地元野菜をたっぷり入れた鍋が夕食になった。

2024.01.20

一日葬

1月11日に、親類の男性が91歳で亡くなった。ずっと梨農家をやっておられた方だ。膝を手術し、自宅で介護を受けていたが、正月明けになくなった。ま、大往生と言っていいのではないだろうか。今日、津田山の葬祭場でで葬儀が行われた。

コロナの流行以来、家族葬とか一日葬というのが多くなった。こちらでも一日葬でやることにした。ところが火葬までの日が10日ちかくあったので近所にだいぶ知れ渡ってしまった。いろんな役職をつとめた方なので、けっきょく葬儀の一日前に、チラシで訃報を流した。一日葬でやることは知らせてあったが、やはり大勢の訪問者が集まった。

葬儀のとき、通夜、告別式、初七日のお経もあげ、一日葬としたが、前日に知らせを聞いた人は戸惑ったことだろう。祭壇にはたくさんの生花が供えられ、きれいだった。故人の親戚も多く集まった。JAが葬儀を執り行ったようだが、家族も大変だったろうと想像がつく。

故人の戒名は「観樹喜山居士」とつけられたが、梨の木の世話をしてきた人という意味が織り込まれているようだ。

昼頃から小雨が降り出し、帰りにはビニール傘を借りて帰った。

葬式を出すということは、しょっちゅうあるわけではないので、家の人も大変だ。まして、コロナ禍の影響もつよい。関係者はみんなよくやったと思う。以前は、お通夜など、まるで宴会のようになったが、いまは規模が小さくなった。昔ほど家族が多いわけでもないし、親類もすくない。義理で出かけるより、家族葬に近い形でいいのだと思う。

知り合いと話しながら、近所の女性が2年前にやはり90代ぐらいで亡くなっていたのを知ったが、完全な家族葬で、周りの人もまったく知らなかったそうだ。コロナの最中でもあったが、そういうお別れでもかまわないと思う。

うちでも親類の葬儀があったが出席しなかったケースがいくつかある。香典だけ送る。親類でなかったら、知らせなくてもいいかもしれない。けっきょく、みんな死ぬのだから。心あったら、自分の家の仏壇を借りて線香をあげるか、神棚にコップ一杯の水をそなえて冥福を祈ればいい。


善人を
絵にかいたような人が
亡くなった
行く先は天国に
決まってる

2024.01.17

しんゆり五行歌会(1月)

                  のぶ(一席)
もう少し
元気でいようね…と
夫婦で言いつつ
妻の飲む薬五錠
われの薬三錠


                  澤田(二席)
千年に一度の大地震で
四メートル隆起の輪廻
だから能登は
暫くは安泰になる筈
祈ります 頑張ってください


                  京子(三席)
能登半島地震に
大谷翔平が
いち早い反応
政治家も
見習ったら!


                  市田(三席)
子供たちの元気な掛け声が
避難地の高齢者に
笑顔が生まれ
生きる力に
頑張ってと願う


                  大橋(三席)
胸囲を
腹囲が
越えた時から
体重計が
怖くなる

                  ひゅー
平安時代の
物々交換が起源とは・・・
行ってみたかった
輪島の朝市
復興を祈ってる


                  きさき
裏の顔
見せて
もらえる
うちが


                  リプル
今日は
七草粥
わさび漬けを
少し加えて
おかわり!

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