フォト
無料ブログはココログ

« こころの平安 | トップページ | 胡桃(クルミ) »

2025.06.02

5匹の子猫

NHK短歌は、3月に行われた短歌大会の入賞作品をとりあげていた。そのなかに、こういう歌があった。

十歳の
秋のわたしに
会いにゆく
五匹の子猫を
捨てたわたしに          新潟県 貝澤圭子

 

私もむかし似たような歌をSNSにあげたことがある。同じような体験をしたことがあるから。そうしたら、そのサイトが炎上した。ひどい、あなたは間違っている、あなたには血も涙もない、歌に詩情もなにもない、等々。その五行歌がこれ。

 

捨ててこい
と言われて
橋から投げた
紙袋
子猫五匹

 

私は反論せずに、ただ黙っていた。感情的になっている人たちに何を言っても無駄だと思ったからだ。

昔は、ねずみ捕り用に猫を飼っていた家が多い。その猫が勝手に子を産んでしまうのだ。去勢する動物病院もなかった。近所にあげることもあるが、処分することも少なくなかったのだ。

私もやはり10才ぐらいだったと思う。叔父に「川に捨ててこい」と言われ、紙袋に入れて遠くまで行き、橋から川に投げた。すぐに袋が破れて子猫たちがおぼれていく。やがて見えなくなった。つらい光景だった。罪深いことをしたなと思った。だから、その思いをずっと抱えてきて、歌にしたのだ。

月刊『五行歌』誌にこの歌を投稿した。そうしたら、昔はそういうことがよくありましたね、仕方なかったのですよね、というような感想をいただいた。「五行歌の会」は年輩の方が多いので、きびしい時代を知っているのだ。

昔は大事なお客さんが来れば、飼っている鶏をシメて料理することがよくあった。大ご馳走である。秋田の大工さんが一緒に住んでいたときは犬も食べた。学校から帰って来たら、飼い犬がいない。どうしたのと訊いても、教えてくれない。夜は鍋の具になっていた。とてもおいしく頂いた。栄養がついたせいか、一週間ぐらい体がホカホカしていたのを覚えている。

菜食主義者でなければ、ふつう豚肉も牛肉も食べている。豚や牛の目を見たら、そうかんたんには食べられないだろうに。われわれは肉も魚も野菜も、その命をいただいて生きているのだ。感謝して食べさせてもらおう。

« こころの平安 | トップページ | 胡桃(クルミ) »

コメント

こんにちは。
そういう時代だったんですよね。
朝5時ごろに犬の泣き声、野良犬をわっカーのようなもので捕まえては車の荷台に保健所の人がよく犬狩りしていた。その当時は野犬が結構居たからだ。
現在「お犬様」の時代。お墓だって立派に作ってもらって菩提寺でありがたいお経。

韓国 
最近まで
犬を食べていた
規制法が出来て
今は食べられない


色々時代の流れはやっぱり経験が物を言う 若い方には分からない。
「戦争は良く無い」と言われても漠然としているS20年代
今の 新聞の大半は80年前の戦争体験の人の話を載せている。体験した人もだんだん少なくなっているらしいが私ですら「そういうものだったんだなあ」」としている。
終戦後の苦労話は聞いた事あるが戦争のことは報道でしか無い。

★EAさん、


15年ぐらい前
新大久保の
韓国料理店で
イヌ鍋を食す
イヌは「ケ」という


香港では
目の前の籠に
イヌ数匹がウロウロ
指名して
食べるという

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« こころの平安 | トップページ | 胡桃(クルミ) »