うんか
自転車に乗ったまま
蚊柱に突っ込んだ
とっさに目をつぶったが
こわかった
数秒のことだけど
夕方は
うんかの群れが出る
そこを
覚悟して
自転車で走り抜ける
自転車を
漕いでいるとき
ツバメと
ぶつかりそうになる
向うが避ける
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自転車に乗ったまま
蚊柱に突っ込んだ
とっさに目をつぶったが
こわかった
数秒のことだけど
夕方は
うんかの群れが出る
そこを
覚悟して
自転車で走り抜ける
自転車を
漕いでいるとき
ツバメと
ぶつかりそうになる
向うが避ける
他人同士が
ひしめきあって
みんなどこか
ちょっぴり孤独
満員電車
【評】見知らぬ人とぴったりくっついて少し孤独。それが現代。
道路に紐
前の自転車が
それを踏んだ
にょろりと動く
ヘビだ!
青大将が
あわてて逃げた
前の自転車は
スマホに夢中で
気がつかない
ヘビも
隠れるところが
なくなり
生きていくのが
たいへんだ
青大将は
農家の屋根裏に住み
ネズミを捕った
害はない
いわば主だった
ヘビを
つぶさに観察して
彫刻をつくった
芸術家の話
もう可愛くて
きのうは一日じゅう雨。湿気がひどかった。
ドジャーズの大谷は日米通算プロ300号のホームランを記録した。つねに記録を塗り替えている。
午後は録画しておいた「あきない世傳・金と銀2」を見た。江戸中期の大阪の商人の話だが、これがとても面白い。主役の小柴風花が終始きちんとした着物姿でキレのいい演技をしていた。上方の商家の風習や、内輪のもめごとなど、さまざまな苦難を乗り越えていく。商売に成功して江戸に店を出すという話がメインだが、その辺の出来事もなかなか凝っている。
このドラマの魅力はなんといっても映像の美しさだろう。それから言葉の美しさもある。時代劇は武士を描いたものが多いが、こちらは商家の話であり、庶民の生活がつまびらかにされている。農民も登場するから、庶民の姿がわかる。時代考証も行き届いている感じがする。
物語に引き込まれ、全8話をぜんぶ観てしまった。呉服商の東西のしきたりや、歌舞伎、江戸小紋の話なども織り込まれており、久しぶりにドラマをたんのうさせてもらった。
「あきない世伝」のシリーズ2はぜんぶ観たが、シリーズ1は断片的にしか観ていない。もう一度みたくなった。また、来年にはシリーズ3の放映も予定されているらしい。高田郁さんの原作も読みたくなった。
草を刈ると
さっぱりする
草は痛かっただろうか
一面に漂う
青臭いにおい
青臭いにおいは
草の
血液のにおい
ごめんね
と声をかける
蒔いた種は
生えるというが
雑草の種は
蒔かなくても
どんどん生える
今は
草が伸びる時期
降って照れば
草も
よろこぶ
きのう今日と、いきなり暑い日が続き、うんざり。朝9時にもう30℃だからたまらない。暑熱順化ができていないのだ。
日傘をさしてバス亭へ、そして登戸駅から快速で新百合ヶ丘駅まで行く。オーパの地下の美登利寿司でランチ。それから「しんゆり市民交流館」へ。机を並べて歌会の準備。12人が参加。
今日で「しんゆり五行歌会」の歌会は200回になる。もう18年目に入っている。記念歌会なのだが、今年は全国大会の担当をするので、それはスキップ。
歌会の資料をしんゆり五行歌会のHPから転載させてもらう。拡大可。
一席 の ぶ
「落書きするな」と
書いた
貼り紙に
「綺麗にしましょう」と
落書きがしてある
二席 良 元
傘の中
不意の横風に
小さな声をこぼした女ヒト
白い花が
ほころんだような
三席 静御飯
長男と孫からの
サッカー観戦の誘い
父の日と敬老の日が
いっぺんに来たと
夫は大喜び
自分が書いたビパッサナー瞑想体験記を読み返した。だいぶ前のものだが、瞑想コースでやっていることは今と変わらない。細かく書いてあるので、当時のことを昨日のことのように思い出す。とくに指導者のことばを見ると、忘れていた大切なことをたくさん思い出す。
ビパッサナー瞑想は、からだの感覚にいつも気づいていること、それに反応せずに平静でいること、この二つに尽きる。簡単なことだが、これを実践するとなると恐ろしく難しい。
うちの患者さんで、この8月の10日間コースに参加する人がいる。もう3回目になり、奉仕もしているが、その人は真面目で毎日瞑想をしているという。そして人生がすっかり変わったそうだ。
私もそれに近い体験があり、人生が変わったということがよく分かる。ところが今はときどきしか瞑想をしていない。最近その人に感化されて瞑想をするようになったが、どうも続かない。それで改めて体験記を読んでみたのだ。これは事実にもとづいて書いたもので、けっこう内容があるし、おもしろい。
ハナミズキと同じミズキ科の木だが、ハナミズキが終わったころに咲き始め、かなり長く咲く。ハナミズキの花(実際はガクのへんかしたもの)と同じように見えるが、四弁の花びらの先が割れずに尖っている。
木の花は目の高さより上に咲くから、離れたほうがよく見える。毎日通っている道にあっても気がつかないことが多い。鮮やかな白がくっきりしていてきれいだ。
ヤマボウシそっくりの木で、ヤマボウシよりあとに咲くトキワヤマボウシというのがあって、そちらと区別がつきにくいようだ。トキワヤマボウシのほうは常緑樹だから、枯れないらしい。
ハナミズキのことをアメリカ・ヤマボウシと呼ぶこともある。ハナミズキは白とピンクがあるので街路樹にすると華やかだ。ただ、白はすぐサビが入る。
山法師は比叡山の僧侶のかぶる帽子のように目立つからだという。山帽子とも書く。
ちなみに法師を辞書でひくと、
①仏法によく通じてその教法の師となる者。僧。
②(昔、男児は頭髪を剃ったから)男の子供。ぼう。坊や。
③ある語に添えて「人」の意を表す。一寸法師、影法師など。
生田緑地の菖蒲を見に行った。雲が厚くて光が不十分なので、花の色があまり出ていない。証拠写真という感じになってしまった。
花菖蒲はもうピークを過ぎていたが、やはり旬のものはいい。近寄ると、紺、紫、白などの色がよく見える。カメラマンが二人いただけだ。山の方からはコジュケイが鳴いていた。チョットコイ、チョットコーイ・・・
中央広場に登る。芝生は養生中だった。右手に大きな白い花をつけた木がある。泰山木だ。タイサンボクと書いてあったが、タイザンボクだとただしく変換された。私もタイザンボクと覚えている。高いところに花があるので、スマホの写真はぼける。
合歓の木の花が咲いていたが、ほとんど散り、最後のいくつかが残っていた。けさニカ領用水のところでは満開だったけれど。こちらの広場は日差しがよく当たるのだろう。それからアジサイ山に行く。紫陽花はまだ色づき始めたばかりでとうぶん楽しめそう。
今日は晴れて暑くなるという予報だったが、曇り日だ。ただ蒸し暑い。
寒いのか
暑いのか
何を着て行こう
木の芽時は このめ
心も不安定
時ならぬ
夏日冬日に
ふりまわされ
さくら
錯乱
桜のあとの
きみどり色の
山が好き
いのちの息吹を
肌に受ける
ジャスミンの
香りが
頬を撫でる
足を止め
深く息を吸う
二人掛けの席を
ひとり占めしている
若者がいる
まあ幸せには
なれないだろうな
私の心の中を
覗いてみると
あちこち
モザイクが
かかっている
きのう、6月3日、ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄さんが亡くなられたというニュースを聞いた。
89才。脳梗塞で倒れてから約20年。右手マヒが残っていたが、それでも折に触れてテレビに登場し、元気そうな姿を見せていた。巨人・大鵬・玉子焼きとかON砲、V9・・・ テレビ局はどこもこのニュースで持ちきりだ。
私は団塊の世代だから、まさに長嶋さんと一緒に生きてきた感じがする。天覧試合や引退試合なども夢中になって見た。もちろんテレビでだが。
長嶋語録などという言葉があるように、その人柄は明るく、ひとことで言うと「憎めない」ということになるだろう。一時代を画した人が亡くなられるのは寂しい。
ドジャーズの大谷翔平が、この日、特大ホームランを放っているが、バットを置いて走り始めるとき何度も頷いていた。あれは長嶋さんへの追悼のホームランが打てたことを確認していたのかもしれない。
NHK短歌は、3月に行われた短歌大会の入賞作品をとりあげていた。そのなかに、こういう歌があった。
十歳の
秋のわたしに
会いにゆく
五匹の子猫を
捨てたわたしに 新潟県 貝澤圭子
私もむかし似たような歌をSNSにあげたことがある。同じような体験をしたことがあるから。そうしたら、そのサイトが炎上した。ひどい、あなたは間違っている、あなたには血も涙もない、歌に詩情もなにもない、等々。その五行歌がこれ。
捨ててこい
と言われて
橋から投げた
紙袋
子猫五匹
私は反論せずに、ただ黙っていた。感情的になっている人たちに何を言っても無駄だと思ったからだ。
昔は、ねずみ捕り用に猫を飼っていた家が多い。その猫が勝手に子を産んでしまうのだ。去勢する動物病院もなかった。近所にあげることもあるが、処分することも少なくなかったのだ。
私もやはり10才ぐらいだったと思う。叔父に「川に捨ててこい」と言われ、紙袋に入れて遠くまで行き、橋から川に投げた。すぐに袋が破れて子猫たちがおぼれていく。やがて見えなくなった。つらい光景だった。罪深いことをしたなと思った。だから、その思いをずっと抱えてきて、歌にしたのだ。
月刊『五行歌』誌にこの歌を投稿した。そうしたら、昔はそういうことがよくありましたね、仕方なかったのですよね、というような感想をいただいた。「五行歌の会」は年輩の方が多いので、きびしい時代を知っているのだ。
昔は大事なお客さんが来れば、飼っている鶏をシメて料理することがよくあった。大ご馳走である。秋田の大工さんが一緒に住んでいたときは犬も食べた。学校から帰って来たら、飼い犬がいない。どうしたのと訊いても、教えてくれない。夜は鍋の具になっていた。とてもおいしく頂いた。栄養がついたせいか、一週間ぐらい体がホカホカしていたのを覚えている。
菜食主義者でなければ、ふつう豚肉も牛肉も食べている。豚や牛の目を見たら、そうかんたんには食べられないだろうに。われわれは肉も魚も野菜も、その命をいただいて生きているのだ。感謝して食べさせてもらおう。
ビパッサナー瞑想のリーダーである S.N.ゴエンカ氏のビデオを見た。
タイトルは、Inner Peace for a Better World.
日本語にすると
よりよい世界のための内なる平和
もう少しやさしい言葉にすると
心おだやかにし、よりよい世の中をつくろう
約20分ぐらいで日本語の字幕がついているから、3回ぐらい集中して聴けばかなり理解できると思う。ビパッサナー瞑想の10日間コースに参加したことがある人なら、いい復習になる。
からだの微細な感覚に気づき、その感覚とこころが密接に結びついていることを知り、それらの感覚を冷静に観察してゆけば、こころは落ち着き、ひいてはよりよい世の中をつくることができると説く。シンプルだが実践するのはちょっとむずかしい。私ももっと瞑想しなければ。
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