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今日も暑い
むしむしする
梅雨だな
紫陽花たちは
喜んでいる
こんな天気は
ストレスになる
心と空模様は
似ている
ときには嵐もふく
台風1号が発生し、昨夜は大雨になるとい予報だった。風はたしかに暴風だったが、雨のほうはそれほどでもなかった。台風のような空模様を予測することは難しい。
台風が発生すると患部が痛むというリウマチの人がいた。からだの節々が痛くなるとき、新聞を見ると台風が発生しているというのだ。ま、だいたい低気圧が近づくと、症状がつよく出ることが多い。いわゆる天気痛だ。
午前中は涼しく、草取りをした。しかし早朝ではなく、8時半ごろだったので日は高く上がっている。太陽も雲間から顔をだす。しゃがんで草を抜く仕事は腰が曲がるし、膝が疲れる。昔の農家の人は、軍手も厚めの手袋もなく、長時間、素手で草取りをしていた。大変だったろうとつくづく思う。
今日は午後からジャズ・コンサートがあったが、私は下肢のしびれがイマイチ取れないので行かなかった。妻は知人を誘って行った。だいぶ楽しんだらしい。
梅雨はらしの
コンサート
音楽にのって
歌声が
空に透る
生田緑地のばら苑は今日が最終日。2週間と少し開かれていたようだ。ことしは行かなかったが、きのう見えた患者さんが、行ってきたという。かなりの人出だったらしい。入場無料。ボランティアで運営されているという。きのうは、キッチンカーが出たり、音楽会もあったらしい。あまり暑くなくてよかったと思う。
むかし行ったときに撮った写真を見る。みんなきれいだが、私はなんといってもピースが好きだ。薄クリーム色の花だが少しずつ朱が入る。しかし入りすぎないところがいい。
右下肢のしびれがなかなか取れないので、フロンタウンの中のできた整形外科に行った。予約なしで行ったが、問診票を書いて待っていると、30分ぐらいして、レントゲンを撮りますと言われた。それで、頚椎と腰椎のレントゲンを撮った。胸椎も入りますかと言ったら、技師が撮れてますよというので、医者の診察を待った。
ほどなく名前を呼ばれ、診察室に入る。すると、レントゲン写真が写っていたが、けっこうきれいに撮れていた。骨もけっこう白く濃く写っていたし、椎間もあまり狭くない。首はストレートネックだが、それほどではないようだ。医者はしびれの場所をさすったり、運動反射をみたりして、けっこうていねいにみてくれた。
ただ以前、MRIで問題があると指摘された、胸椎の9-10番は暗くてよく見えない。交通事故で打ったところだ。ま、そこが原因らしいことは想像がつく。でも、レントゲンで自分の背骨の状態が見られたので、なんとなく安心した。
午後は中野島駅前の床屋に行く。床屋さんは楽しい。気持ちがいいし、いろんな話がきける。知らなかったことを、いろいろ教えてもらった。
夕方、2時間ほど草取りをした。床屋さんが定休日に草取りをしたと言っていたので。草は伸び放題だった。しゃがむ分には足のしびれは感じない。それから、シャリンバイとサツキの剪定をした。自然の中にいると、気分がいい。
今日は中学の同窓会があったが、脚が気になった欠席した。酒を飲んだあと、よろしくないからだ。
以前、偶然撮れたもの。ウグイスは警戒心がつよく、鳴き声に近づいてもなかなか見つからない。すぐそばで聞こえるのに。ウグイスは地味な色をしているから、よけい目立たない。梅にウグイスというが、あれはメジロのことだと思う。うぐいすパンなどというのを昔よく食べたが、あの餡の色もメジロの色だ。
生田緑地などでよく鳴いているが、最近はガビチョウというのが増えて、それが大きな声でさえずるものだから、よけいウグイスの声がかすむ。ガビチョウは歌がうまいが、からだも大きいので、その声がやかましいぐらいだ。
ウグイスもヒバリも小さなからだで、よく通る声で鳴く。井の頭公園の野鳥園でヒバリのさえずりを聴いたことがあるが、小さいからだを震わせて全身で鳴いている。飼育員の人が「一日中ああやって鳴いていますよ」と言っていた。すごいエネルギーである。1時間ぐらいずっと聴いていた。動けなかった。
ツバメが飛び回っているが、巣作りか、子育ての最中なのだろう。しかし、巣材の泥をとる田んぼも少ないし、巣を作れる場所も少なくなって可愛そうだ。ときどき、カラスに追われているのを見る。
以前撮ったものだが、そのあとこの木は強く剪定され、坊主になってしまった。回復して、いまごろはまたこのようなきれいな花を咲かせているだろう。栴檀は双葉より芳し、のセンダンである。すこし鼻が悪いので、香りは覚えていない。
栗の木の花が咲き始めた。こちらは青臭い強烈なにおいがするからすぐ分る。虫や蝶を誘うためだろうが、何故みんな違う臭いがするのだろう。それぞれに授粉する虫たちが違うからだろうか。
ビパッサナー瞑想のコースに奉仕で参加した女性が治療にみえた。生徒は70人だから、食事づくりは忙しく疲れたようだ。日本語がたんのうな外国人が2人いたが、コミュニケーションがうまくいかないところがあったらしい。ただ、奉仕者も一日3回は一時間ずつすわるので、いい体験ができたという。一年に一度コースに参加し、そして奉仕もしたいという。えらい!
以前、柿の木の下にたくさん植えてあったが、いまはない。漢字では虎耳と書くが、これは葉の形から来ている。花は小さくて独特な形をしている。大文字草の仲間。
花びらは5弁で、上の3弁は小さく、赤い点々が入っている。下の2弁は大きく長い。正面から見るとピエロのように見える。昼間はピエロの足のように見えるが、夜になると鋏を閉じるように重なり一本に見える。
高血圧
今年の四月から、高血圧の標準値が変えられた。1度、2度、3度と分けられているが、大ざっぱにいうと私は76歳だから160/90ぐらいでいいらしい。50を過ぎた人がみんな降圧剤をのんでいるなんていうのは不自然だ。
130を越えたら降圧剤をのみましょう、なんていう宣伝があるが、あれもおかしい。血圧を測ってみればわかるが、数値はかなり変動する。若い人と老人をいっしょにしてしまうのもおかしい。また個人差も大きい。
むかしは、年齢に90を足したぐらいが上の血圧の正常値だった。だから70歳なら160、50歳なら140、30歳なら120、ということになる。それを一律に130なんていうのは変だと昔から思っていた。ま、一部の医者や製薬会社の降圧剤をたくさん売ろうとする陰謀のようなものを感じていた。
からだは年をとったら、血圧を上げて末端まで血液を送ろうとしている。とくに脳は上にあるから、頭を使う時は10や20はすぐ上がる。それを下げたら副作用が出るだろう。ひょっとしたら、私のラクナ脳梗塞も関係あったかもしれない。薬をやめたら病気が治ったなんて話も耳にする。
ちなみにイギリスでは24時間血圧計で一番低いところに注目し、むしろ下がらないようにしている。上は160以上だと降圧剤が必要なときもある。しかし年をとった人なら、そのぐらいは正常。
100歳の人の血圧を調べると、180~220ぐらいあるそうだ。それを薬で下げたら危ないだろう。
浅井(一席)
入って来る
知識より
消えてゆく記憶
老いに
急かされる
リプル(二席)
小さい頃の
暮らしを思い出して
くつろぐ
古民家
囲炉裏のけむり
内藤(三席)
新一年生下校
元気いっぱいの子
早くもくたびれた顔の子
君たちの人生は やっと
始まったばかりだよ
有水(三席)
朝のラジオ体操
始まりの言葉は
交わし合ったのに
さよならなしで
逝く人たち
平田
街路樹が
伐り倒されて
小さな花木に
見晴らしはいいけど
木陰は?
佳子
ツツジ咲く丘
バラが咲く川原へと
歩くこと一万歩
喜寿の
誕生日
大日方
思うがまま
為すがまま
気ままに生きる
勝手な自分だが
時には悩みが襲う
えんみ
うれしいなあ
頂いたワンピース
さっそく試着です
あらまあ 私
糸巻きハムになっちゃった
京子
私にとって
危険な場所
それは、百円ショップ
目につくものが
次々とカゴに入っている
むかし受けた交通事故の後遺症が、50を過ぎてから出てきた。最初は両足の指先が軽くしびれる程度だったが、だんだんそれがひろがり、足底全体に違和感を感じるようおになった。いくつかの整形に行ったが、あまりパッとした答えは出なかった。
品川の脊椎脊髄専門病院に行ったこともある。MRIやCTを撮り、胸椎9-10番あたりで、脊髄が後縦靭帯に接触していることがわかったが、手術はリスクが大きいので様子をみることにした。失敗すれば、その後遺症もでる。
ここにきて、足底だけでなく足首全体やでん部までしびれるようになった。それで、妻に鍼灸の治療をしてもらっている。でん部に針を刺し、低周波をかけてもらい、温灸をしてもらう。すると、かなり楽になる。背中の真ん中あたりに、直接灸をしても、まったく熱さを感じない点がある。そこが患部だと思われる。治療をしてもらうと楽になるが、完治するわけではない。
このところの天候の不順で、症状が強くなってきた。
瞑想しようとすると、からだがピクピク動く。横になると、それが大きくなる。どうも、からだが自己調節をしているようだ。それが5分も10分もつづくと、腹筋が痛くなるほどだ。からだもなんとかしようとしているのだろう。
からだは
からだのことを
自分以上に
知っている
ゆだねよう
なんとかなる
養老孟司×ヤマザキマリ×岡本昌宏 なんとかなるトーク
YouTubeでトマトやナスなど、野菜の作り方などを見た。知っているようで知らないことが多い。妻が野菜を植えて収穫しているが、なかなか思うようにいかないことが多い。無理もない、妻は薬局の娘だ。
私は農家の子だったが、農作物の栽培方法は教わらなかった。戦後の混乱でいろんなことがあった。母とは生き別れになった。
大学を出たが就職もせず、育ての親になる叔母の中華料理屋を手伝った。調理師の免許も取った。そんななか鍼灸治療に出会い、専門学校に行こうと決めた。鍼灸の名人になるつもりだったが、そうは問屋が卸さなかった。
うちに鍼灸の勉強に来たドイツ人を通して、ビパッサナー瞑想を知った。ビパッサナー瞑想のコースには、奉仕もふくめて8回参加した。この体験によって、生き方がらくになった。
私のすすめでビパッサナー瞑想コースに行った人は15人ぐらいになる。みんな、いい体験ができたと言う。
人生は
選択である
選択しない
ということを
含めて
やったことの
結果は出る
もちろん
やらなかったことの
結果も
大國魂神社の祭礼のとき、境内のお店で買った曲げわっぱの弁当箱。白木に塗りものをしてあるが、この色が気に入ったので買った。今日で2度目だが、軽くて手ざわりがいい。材料は杉だという。以前、テレビで曲げわっぱを作るところを見たが、職人技がいる。
今日はのごはんは玄米。おかずはコロッケと鮭、鮭の下に蒸し野菜。いままではタッパーだったが、これからはこの弁当にする。一緒に勝った箸もいい。
以前は、魔法瓶式の弁当箱で、保温が効いたが、とにかく重くてかさばる。それでタッパーに。仕事場では熱いお茶が飲めるので、この曲げわっぱのほうがいい。なんとなく木のぬくもりを感じる。
弁当箱を
タッパーから
曲げわっぱにした
木の温もりが
なんともいえない
稲刈りのあと
麦をまいて
冬は麦踏み
麦を採り入れて
田植え
ホリドールという
稲の農薬で
亡くなった人が
数人いる
いつからだろう
春の空は
気まぐれ
寒暖差が
大きく
体調を乱す
連休明けは
忙しく
私の古傷も
顔を出し
妻に治療を請う
風が強く雨がまじり
春のあらしだ
バスの運転手が
往きも帰りも
同じ女性だった
日本の食料自給率は
37%というが
実質は9.2%ほど
肥料もエサも種も
外資に握られている
涼しいので午前中は草狩り。根を残して上を刈り、その草を野菜のまわりに敷く。いわゆる雑草マルチである。まだ蚊が出てこないのでいい。しゃがみっぱなしだと、膝が痛くなる。それで、ときどき風呂用の椅子を使って座って作業する。すると、こんどは腰が痛くなる。ま、農作業はきつい。
午後、叔母(93)が近くのケアセンターにいるので面会に行った。先週も行ったが、ちょうどコロナ患者が出たとかで面会できなかった。叔母は頭はしっかりしているが、寝たきりなのでなので体力が落ちているようだ。耳が遠いので会話が大変。
広いホールには、兜がかざられたり、大きな鯉のぼりが壁にかざってあった。絵や習字などもある。
長生きすれば
からだも脳も
あちこち
壊れてくる
あすは我が身だ
小さいときの
暮らしが
よみがえって
やすらぎ
くつろぐ
緑のそよか~ぜ
と
ふいに口ずさむ
小鳥たちに
まじって
古民家は涼しい
茅葺が熱を絶ち
囲炉裏の上昇気流が
外気を
呼び込むから
中1のとき
先生から
ビンタをくらった
自分が悪かったので
痛快だった
白牡丹
というといえども
紅ほのか
虚子の句だが
白木蓮にしたい
たまたま
日本人の親から
生まれたから
日本人
あちらもまた
名前でなく
番号で呼ぶ
配慮
あたらしい
肛門科
ウクライナと
ガザ
テレビを
じっと見たり
すぐ消したり
他人事ながら
メジャーの
大谷くん
いつ結婚するのか
心配だったよ
午後2時ごろ近くの施設にいる叔母(93)の面会に行った。雨が降っていたが、整備したばかりの車は順調だった。玄関を入ると受付で、「さっき、3階でコロナの患者さんが出たので1週間後に面会に来てくださいと」言われた。仕方なく伝言を書き、おみやげをあずけて帰宅した。
まだコロナが減ってはいないのだ。いま、私たちにできることは、腸内細菌のバランスをよくし、免疫力をつけるしかない。コロナのワクチンを打って、かえって免疫力が落ちたという医療者がいる。
4月末に、池袋で2万人ほどのワクチン後遺症の患者や遺族、医師、関係者たちがデモ行進をした。なにかわけがあるのか、時事通信しか新聞社は報道しなかった。製薬会社は新聞社に多額の広告費を払っているからかという疑問もわく。
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