くろがねベビー
たまたま、NHKの「幻の絶版車をさがせ」という番組を見た。そうとう前に製造中止になった車でまだ動くものを探す、というのである。そこに、くろがねベビーの写真が出て来たので驚いた。うちで叔父が初めて四輪車を買ったときの車だからだ。
スタッフはパソコンを駆使し、1960年ごろの写真や映像の中からくろがねベビーを見つけ、その車体に書いてある文字を頼りにあちこちに電話をする。米屋、酒屋、豆腐屋など。だが、写真は残っていても車は残っていない。しかし、とうとう福岡県に古い車を収集している人がいることをつきとめた。
現地に飛ぶと、100台以上の絶版車が倉庫に並んでいた。その中にミゼットと並んでくろがねベビーが鎮座していた。動きますかと聞くと、動きますよという。エンジンをかけるとセルモーターだけの音。だが修理すればすぐ走るようになりますと断言する。
一週間後、その試乗会が開かれた。くろがねベビーは東急くろがね自動車という会社が作ったらしい。この車を設計した人も見つかった。91歳でお元気だ。本人も驚いていた。実際に乗ってみて感激していた。2気筒4サイクルエンジンにしたのは静かさの追求だったとか。とにかく軽く、安くを目安に、298,000円とし、2年間で2万台が売れたそうだ。
だが、そのあとスバルサンバーやダイハツハイゼットのど後発の軽四輪が出て、会社は傾いてしまった。多くの仲間は富士重工に移り、スバルサンバーの開発に手を貸したらしい。くろがねベビーはリアエンジンのスペースが小さかったため水冷のポンプがなく、故障が多かったということだ。
私が中学生のとき、叔父が初めてこの車を買った。360㏄だ。リアエンジンが特徴で、前に大人2人が乗ってもとても安定性がある。荷台は横から紐をひっぱりあげると下に開くようになっていた。
私は叔父のいないときに運転台に乗り、クラッチを踏み、H型のギアを入れ、前後に車を動かして感動したのを覚えている。多少は道路に出て走ったこともある。当時はダイハツ・ミゼットとかマツダ・キャロルなど、軽は三輪車ばかりだったから目立ったものだ
車体は白っぽいベージュだった気がする。荷台とリアエンジンはキャンバス地(帆布に防水加工したもの)の幌が取り付けてあった。色は深紅だった。とにかく、いかに安くできるかを追求した車だった。叔父が亡くなったあとは、知人の青年が運転してくれた。これで、新宿なども走ったことがある。運転席に2人、荷台に4人の子供が乗った。おまわりさんに見つかるといけないので、幌は開けなかった。
実に懐かしい車である。
おはようございます。
妹の退院に付き添いました。良性で安堵です。懐かしい車 昆ちゃんののミゼットコマーシャル メガネ落ちそうな顔ダイハツ「バタバタ」と呼んでいたような?
この車で配達が便利と父の喜ぶ声を思い出しましたよ。
病院の廊下
寝台で運ばれる人
車椅子に乗せられる人
看護師に配膳係
一幅の絵の中
人生色々あるから退屈しなくて良いのかもです。
投稿: E.A | 2022.10.03 08:30
★E.A.さん、
ミゼットは三輪でしたが、よく売れましたね。小回りがきくので大ヒットしたのを覚えています。それからホンダのスーパーカブも大ヒット、今でも走っていますね。
妹さん、良性でよかったですね。私も3年前にラクナ脳梗塞で二週間入院しましたが、軽くてラッキーでした。知らないうちに、いつ何が起きても不思議でない歳になってしまいました。
投稿: リプル | 2022.10.03 11:21