出かけると、変な食事ばかりしてしまうことが多い。店を知らないから適当なところに入ってしまう。年をとってきたから、あまり脂っこいのはだめだし、イタメシやステーキなども避けてしまう。やはり、和食だな。
先日、鎌倉に行ったときは、人からすすめられた鎌倉の「お昼ご飯」という店に入ってみた。若宮通りの左側、八幡宮より少し手前の酒屋さんの手前の二階にある。平日だし、一階ではないので、それほど混んでない。私はマグロの漬け丼、妻はマグロの漬けとシラス丼を注文。女性だけでやっているようだ。
マグロは三崎直行で美味しかった。味噌汁のワカメも地元の生ワカメ。それにホウレンソウの胡麻和えなどの小鉢がついてきた。お腹が空いていたので、お代わりしたが、値段は同じ。美味しくいただいた。お茶が欲しかったところだが、水だったのが残念。
帰ってからネットで調べてみると、アジフライ、ハンバーグ、カレーなども美味しそうだった。こういうお店を知っておくといい。小町通りはスイーツ系が多い。若い人向けだ。もっとも、われわれもお決まりの鎌倉カスタを買ったけど。
成長期に
食べたものは
うまい
飽きない
なんか落ち着く
きのうは鎌倉を歩いてくたびれたので、家でくつろいでいた。それから散歩に行こうと思ったら、うちの前の道を大勢の人がフロンタウンの方へ向かって歩いて行くので驚いた。なんだろうと思ってその流れに加わったら、フロンタウンの中のみんなの広場でフリーマーケットが開かれているそうだ。いつも、この日は星が丘のユリストアの前の広場と、そこから伸びる通路で開かれていたのだが、今年からフロンタウンになったらしい。
23日にフリーマーケットがあるということは知っていたが、それがフロンタウンになったことは知らなかった。野球場よりもひろい広場に区画がつくられ、いろんなお店が出ていた。メインは古着だが、おもちゃ、手芸品、食器、野菜、焼きそば、綿菓子など、すきまなく並んでいた。このころは寒いことが多いが、ことしは暖かいので店を出す人も楽だったに違いない。
私はプーマのジャケットを、妻は帽子をゲットした。1000円の値札がついていたが、500円なら買うよと言うと、800円にしてくれた。こういうやりとりもフリーマーケットの楽しみである。
特設舞台では、子供太鼓や獅子舞なども披露された。写真は川崎純情小町の4人が歌と踊りでイベントを盛り上げているところ。
パンや白菜なども買った。知り合いにも何人か会えて雑談した。コロナ以来、地元の人ともあまり会わなかったから、よかった。午後はまだ暖かかったので草むしりをした。2時間もやると、腰が痛くなった。すぐ夕暮れだ。
水曜日は定休なので鎌倉に行って来た。藤沢から江ノ電で穏やかな海や江の島をながめながら、最初は長谷に降りた。長谷寺はそとから見ただけだが紅葉はいまいち。猛暑で枯れてしまったモミジやカエデが多いようだ。イチョウもまだ緑が残っている。外国人や修学旅行生たちでにぎやかだった。
妻が御霊(ごりょう)神社に行って、ちゃんとお参りしたいというので、長谷寺から5、6分あるいた。権三郎神社という門柱があったが、御霊神社の別名らしい。境内にはご神木のタブの木が踏ん張っている。すこし小さめの本殿にお参りをする。目に効用があるそうだ。私も老眼が進んでいる。ただ車の運転も眼鏡使用ではないので、お礼をする。
御霊神社の入口は江ノ電が通る。ここは、紫陽花の咲くころカメラマンが大勢あつまる。ちょうど列車がカーブしてくるので、いいアングルの写真が撮れるのだ。近くに有名な力餅のお店があるが、水曜日は定休。
長谷からまた江ノ電で終点の鎌倉へ。大船行きのバスが出るところだったので飛び乗る。そして建長寺前で降りる。拝観料500円を払って建長寺の山門をくぐる。うちの菩提寺の本山だから何度も来ているが、きょうの目的は虫塚である。地図をみると、虫塚はお寺の奥のほうにあるらしいので、いろいろ見物しながら歩く。
奥まで行くと鎌倉アルプス入口とあり、長い階段が見えた。その手前に左側に竹林があり、その中が切り開かれて小さな広場のようになっており、虫塚という文字が見えた。虫塚は小さい祠(ほこら)だが、なかに網かごがあり繭ななかに玉虫の幼虫のようなものが見える。虫塚の右側に記念碑が立っている。
発案者である虫好きの養老孟さん夫妻と、設計者の隅研吾氏等の名前が刻まれていた。その碑文はこう書いてある。
近代文明はおびただしい数の虫を殺してきました。
それは今でも続いています。
それに気付いている、ということを銘記しようと、
虫塚を建立しました。
塚にしたのは、すべてを言葉にすることはできないからです。
鎌倉 建長寺の虫塚 - とことこ湘南 (shonan-sh.jp)
養老さんは、とりわけゾウムシがお気に入りで、その大きなオブジェが置かれていた。あと、カブトムシ、クワガタ、トンボ、チョウなどの石のオブジェが置かれていた。中央の虫籠状のものは、やがてコケ蒸すと竹林とうまく調和するようにデザインされているらしい。
前立腺はそれほど大きくないのに、頻尿と残尿感がある。夜は2回はトイレに起きる。たまに間に合わないときもある。10㏄まで吸水するというパッド付のブリーフを履いている。情けないが仕方ない。先日、PSAを測ったが、問題ないと言われた。
しかし、頻尿や残尿はわずらわしいので、午後、別の腎泌尿器科へ行ってみた。すぐ超音波の検査をしてくれて、腎臓や膀胱はきれいだと言われた。さらに尿の流れと残尿を測ってくれた。それで、けっきょく過活動膀胱があるようだと言われた。
膀胱をひろげ、前立腺を縮める薬を2種類処方され、2週間後にまた来院するように言われた。もしかすると、50年前の交通事故で背中を打ったことが影響しているかもしれないとも言われた。
頻尿や残尿は
一口で言えば
老化現象
長く生きれば
いろいろある
おしっこが
勢いよく出た
若い頃がなつかしい
でも出るだけ
ありがたいか
今日は私の誕生日。
自転車で通勤途中、登戸神社のそばにある丸山教の本庁に寄ってきた。境内にはいるのは初めてだが、私の父と母が結婚式を挙げたのがこの教会だったことを思い出したのだ。
うちに古い写真があり、丸山教で撮ったと書いてあった。写っている人は数人しかわからないが、戦時中だったのであまり笑顔の人はいなかった。昭和18年ごろのことだろう。私は戦後生まれだから、写っている人がわからないのは当たり前である。多くの写真は台風で水浸しになってしまったのであまり残っていない。
それでも、ここで父母が結婚式を挙げたと思うと、感慨深いものがあった。そのことがなければ、私は存在しないからだ。
一時は、西の天理教、東の丸山教といわれるほど信者が多かったようだが、政府の弾圧にあって、いまは信者数は少ない。それでも大祭のときはバスが並ぶほど人が集まるのを見たことがある。
枯れ葉が
アスファルトの道を
カサコソ急ぐ
きっと土を
探してるんだろう
ヒイラギはモクセイ科。ライラックやキンモクセイと同じ仲間。だからいい香りがする。しかし、キンモクセイほど強烈ではなく、やや上品な香りがする。
これは今朝、長念寺で撮った写真。かなりの老木で葉のトゲはほとんで見えない。年をとると丸くなるというのは、この木に関しては本当らしい。もう何十年も前から見ているが、昔はかなりトゲがあった。
ことしは剪定のせいか、天候のせいか、今びっしりと花が咲いている。そして、なんともいえぬいい香りが漂う。
植物の名前に季節がつくものは、椿、榎(えのき)、萩、そしてこの柊だ。榎の花は思い出せないが、四季が豊かな国の証拠だろう。ここ数年はちょっとおかしいが。
ヒイラギの
花の匂いに
酔いしれて
左脳はしばし
お休み
ひとりひとりは
いい人なのに
民族や国家となると
豹変する
絶望すら感じる
人を助けたら
英雄なのに
人を殺したら
英雄とは
あなおそろしや
大谷翔平くん
メジャーでMVP
天は二物を与えず
なんて
誰が言った
Eテレの道草さんぽを見ていたら、東京中央郵便局の玄関前に郵便局の木というのがある。葉書の木ともういうらしい。郵便局の木とは変な名前だが、多羅葉(タラヨウ)というモチノキ科の木で、葉は椿のように硬く厚い。その葉の裏に針金のような硬いもので字を書いたものが葉書きの始まりという。葉が枯れても文字は黒く残り、長く保存できるという。案内役の多田先生は、子どもが書いた絵文字の葉を本の栞にしていた。何年たっても読めるという。
古代インドではこれに似たシュロのような長い葉に、経文を書いたりしたそうだ。その葉にアカシックレコードを書いたものをテレビで見たことがある。アカシックレコードとは元始から未来に渡って起こることを記録したもので、それを読み解くと、過去を知ることもできるし、未来を予測できるという。前世も來世もわかるというから、ちょっとオカルトめいた話だ。
人間が理解しがたいことはまだまだたくさんある。
のぶ(一席)
砲撃に震える
哀しい顔に
幼い瞳
カメラを見つめ
私をにらむ
京子(二席)
人の上に立つ人に
最も大切なことは
きびしい助言を
いってくれる人が
そばにいること
澤田(三席
戦争は
攻めも守りも大変なり
攻めは軍人だけだが
守りは
ジジババ女子供孫なのだ
有水
私も友も
「自分はいつまでも若い」と
諦めの悪さ
みんな頻尿だから
休憩の多い散策。
内藤
交差点の
真ん中に
つむじ風
落ち葉たちが
ロンド舞う
大日方
タバコを咥え
白いとっくりのセーター
高倉健が大勢出てきた
映画の終わった
東映の前
市田
涼しくなったら
会いましょうも
束の間に冬模様
暖かくなったねで
何が何やらさっぱり!
えんみ
ユリノキ通りが
お煎餅通りになった
かさこそと踏む
秋の音
靴底が美味しい
リプル
婚姻届さえ
ハンコ不要
自筆の署名のみ
コロナ禍の産物か
デジタル化の流れか
日曜の午後は多摩市民館で、多摩川吹奏楽団の演奏を聴いた。コロナのせいで久しぶりだったように思う。やっぱり生はいい。低音の響きや高音の伸びなど、音色がじかに伝わってくる。
司会者が劇団の人なので、声も通るし、小物を使ったり、ジョークも入れて盛り上げてくれた。秋はファミリー向けで、ビートルズの曲をいろいろ聴かせてくれた。楽器のパート紹介も楽しかった。
世代交代か、コロナ禍のためか、団員が二割ぐらい少なくなったように感じた。打楽器の演奏者が少なくて、掛け持ちで忙しそうだった。連ドラの「らんまん」も聴いた。最後は「マツケンサンバ」ときた。司会者が金色の和服で踊り出てきて大盛り上がり。
演奏会は
たのしいが
一番
たのしいのは
演奏者だろう
ユダヤ教も
キリスト教も
イスラム教も
同じ神ヤハウエを敬い
殺し合う
これら三つの
宗教の聖地は
同じエルサレム
新たな救世主
現れよ!
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