2020.09.23

さよなら、Aityくん

中野島の香華飯店の愛犬・Aityくんが20日の日曜日に亡くなり、きのう火葬したそうだ。店主夫妻や家族が長年可愛がっていただけにつらい。よく吼えて留守番役はするし、店主がいろんな芸を仕込んで、新年会などで披露してくれたのが懐かしい。

鉄砲でバーンと撃つと死んだ真似をしたり、鼻の頭に載せたお菓子を「ヨシ!」というと床に落とさず食べたりした。主人が歩くと、その足のあいだをスラロームのように歩いたりして、みんなを笑わせた。飼い主が出かけるところも、Aityくん優先だった。犬が入れるレストラン、ドッグランのあるところなど。

愛情をたっぷり受けたAityくんは幸せだったと思う。生き物を飼うと必ず来る別れ。つらいところだ。

うちでも、2匹の犬を見送ったことがある。どちらの場合も、妻は1日中、泣いていた。

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2020.07.07

線状降水帯

台風よりも
恐ろしい
線状降水帯
九州に
居座る

いままで
経験したことの
ないような~

頻度を増す

七夕の
空に雲厚く
見えない星に
安寧を
願うばかり

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2020.01.31

ヴィパッサナー、よかった!

ある友人のブログが2年前で止まっていた。ぜんぜん書き込みがない。なつかしいので、少し読んでいたら、ヴィパッサナー瞑想の10日間コースに参加したときの感想が書いてあった。彼は川崎から島根に移住し、農業を始めた。コースを取ったのは京都のダンマバーヌという瞑想センターだ。そのブログの記事を転載しておく。

 長い正月休みを終えて、自宅に帰った夜、寝ていたら電話があって
「ヴィパッサナーの10日間コースにキャンセルが出た。参加するか?」
と連絡を受けて、行くことにした。
ヴィパッサナーとはこれ→ 日本ヴィパッサナー協会

1/14の夕方~1/25の朝まで京都でのコースに参加した。
1日11時間瞑想、1時間半講話。
座って、目を閉じて自分の呼吸を感じる修行を4日間。
同様に自分の体の感覚を冷静に感じる修行を6日間。
常に変わっていく感覚、思考を体でわかるようにと。

つらい時もあったけど、やりきった。
困った自分がいた。

今に集中できず、いつも頭の中で過去や未来にふけっていたり、
他人を自分の中の固まったイメージで見て、
自分のイメージを気にする。
いろんなことに影響を受けすぎいて、「いまここ」に
落ち着いた自分がいることが少ない。

自我が強くなって、最近は他人に心を開こうとしない。
でも常に一生懸命生きてきたし、
今の自分が過去の自分より優れていることも
劣っていることもないとも気づいた。
自分の感覚、感情をできるだけ冷静に感じて
しっかり生きることが大切だ。いい仲間もできた。

ヴィパッサナーのことを教えてくれた友人には大感謝です。

私自身は体調がいまいちだったり、時間のやりくりがつかず、長いこと10日間コースには参加していないけれど、なにか心の落ち着きを失ったときはアナパナをしている。アナパナ瞑想は自分の自然な呼吸をじっと観察して、集中力をつける瞑想だ。これをやると、心が落ち着いてくる。知人や、患者さんにヴィパッサナー瞑想を紹介して、これまでに10人ぐらいが10日間コースに行っている。そして、誰もが「よかった、いい体験ができた」と言っている。

少し古いが、私の体験記にコースの内容が詳しく書いてあるので興味のある方は参考にしてほしい。私は京都のダンマバーヌで数回、10日間コースを取った。今では千葉県の茂原にも、ダンマディッチャという瞑想センターができているから参加しやすいだろう。ゴールデン・ウイークやお盆、正月休みは早めに申し込んだほうがいい。

ヴィパッサナー瞑想体験記

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2020.01.23

23日は月次祭

20代から50代ごろまで、私はある神道系の宗教団体に属していた。天理教の分かれと言ってもいい。最初は叔母がやっていて、私は運転手としてよく叔母を巣鴨の教会まで送った。はじめは「よく当たる」おがみ屋さんぐらいに思っていたが、自分の悩みなどを神様におたずねするようになり、だんだん深入りして行った。

教会で相談内容を告げると、先生(神主)が祭壇に向かって手を合わせて祈る。すると、その先生に神様が降りて、先生を通していろいろと回答してくれる。十天上大神、甘露台母神、根株祖神、不動明王など、時に応じていろんな神様が降りてくる。占いのような一面もあるが、日々の生活態度を指摘されたりするから、生き方を教わる場所であると言っていい。

やがて、巣鴨教会の月次祭(つきなみさい)や本部の月次祭、団参などにも行くようになった。妻の母の実家が天理教をやっており、妻も自然に巣鴨の教会へ行くようになった。毎月23日は本部の月次祭なので、それにも通う。本部は愛知県の三好市にあるから遠い。新幹線で名古屋まで行って、地下鉄で豊田のほうに少し戻る。車だと東名を走り、豊田インターを出て10分ぐらいのところだ。5時間ぐらいはかかる。

20年あまり、教会の月次祭、本部の月次祭、年3回の本部の大祭などに足を運んだ。そのつど神の思惑に合った生き方というものを教わり、それが私の生き方の土台となっていったように思う。50代後半になって、いろんな事情で縁が遠くなったが、そのころ教わったことは忘れていない。

23日というと一般には「ふみの日」が有名だが、われわれにとっては本部の月次祭のほうが心に強く響く。

神と呼ぼうと
何と呼ぼうと勝手だが
そういう力が
この宇宙を存在させているのは
まちがいない

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2019.12.01

祈り

けさの「心の時代」は写真家の桃井和馬さんで「戦場から祈りへ」という話だった。キリスト教系の話は、ちょっとだけ見るぐらいでて消去してしまうことが多いが、今回は惹きつけられた。

番組案内にはこうある。
世界140か国以上をまわり戦場や紛争地の写真を撮ってきた。しかしある時から、争いではなく、自然など人間を超えた大いなるものにレンズを向け始めた。そして桜美林大学の客員教授を務める現在、学生たちと共にスペインの巡礼路約1000キロを歩く活動をしている。なぜ桃井さんの被写体は変わっていったのか?なぜ、いま学生たちと共に巡礼路を歩くのか?桃井さんの歩みをうかがう。

再放送が7日(土)の午後1時からある。

助けてくださいと
祈るんじゃなくて
何が起きても
耐えられる心が
持てるようにと

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2019.11.22

呼吸の瞑想

不条理なことには
腹も立つ
そんなときは
呼吸に意識を置くと
やがて落ち着く

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2019.11.15

氏神様

1日と15日は氏神様にお参りに行く。地域の人たちが長いあいだ心を向けてきた場所なので、私たちも毎日無事に過ごさせてもらっていることを感謝し、足を運んでいる。特にご神体のことなどは詳しく知らないが、それでもいい。この14日から15日にかけて、皇居では大嘗祭が行われた。これなども宗教行事というよりは、長いあいだの慣習にのっとって行われているものだろう。ちょっとお金をかけすぎるのはどうかと思うが。

神を敬うことはいいことだと思う。ただ、神の名を借りて戦争を起こしたりすることがあるので、用心はしなければならない。古来、日本人にとってはすべてが神だった。ほとんどアニミズムといっていいが、これは悪くはないことだと思う。山の神、海の神、火の神、水の神、風の神、かまどの神、便所の神・・・。ま、宇宙の法則は人知を超えた神のようなものだから。

水も空気も
火も風も
石もマグマも
生き物も
みな波動なのだ

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2019.10.31

むかしの五行歌

古いホームページやブログを読み返している。2001年頃からのものが残っているから、20年近い記録になる。野鳥や花、旅行や行事の写真などを見ていると、すぐ時間がたってしまう。随所に五行歌が詠みこんであるが、それを書いたときのこともよく思い出すことができる。五行歌は2003年の2月4日、「五行歌の会」のホームページに行き、翌日あたりから掲示板に投稿をはじめた。主宰のえんた先生から丁寧なレスをいただいて、とりこになっていった。

私の五行歌は、そのほとんどが毒にも薬にもならないような歌だが、それはそれで私の足跡をしめすものである。だから、自分の分身のようなところがある。どれも、その時々の自分の表れなのだ。五行歌は自由なだけに評価基準のようなものがない。それが、俳句や短歌のように広く普及しない一因になっているのかもしれない。パターンや約束事を持たず、自由に歌うのはかえって難しいのだ。

古い五行歌に
目を通して

変わった自分や
変わらない自分と
再会している

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2019.10.21

二子多摩川の氾濫場所

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写真の右橋のマンションの一階が浸水したらしい。土手を高くしようとしたら、レストランが景観が悪くなると反対したらしい。想定外のことが起きてからでは遅い。危ないと思ったら逃げるか、何か手を打たなければ、けっきょく高くつく。

しんしさんの指摘によると、このマンションではなく隣りのマンションの地下が浸水したそうです。レストランはなく、それは私の勝手な想像でした。fakeでした。しかし、あきらかに土手が低く見えますね。

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2019.10.03

禅の知恵に学ぶ

録画しておいた「心の時代」を見る。山川宗玄(正眼寺住職)の話はじつに胸に落ちる。小我(エゴ)と大我(宇宙)の話など、ヴィパッサナー瞑想に通じるので面白い。

大寒の接心は氷点下10℃以下の頃に坐禅をする修行だ。そのとき、寒さと戦ってはいけない。寒さを受け入れると、からだの表面は冷えてくるが内側が温かくなる。なってくることをそのまま受け入れれば、そこを通り過ぎることができる。

仏門に入ろうとしたのは、学生のころ見た外国映画だった。難民キャンプかなにかで、黒い雲がわずかに開き、そこから光が差してきて、人々が祈っている。それを見て坊主にでもなろうかと思った。50年後、たまたま寺を訪れたハンガリーの国会議員の人にその話をすると、その人がその映画の監督だったという。

きょう、ヴィパッサナーに行ったことのある患者さんと話をした。なんだか知らないが、その人に、私が縁を持った宗教や精神療法の話をいろいろした。神和教、天理教、ヴィパッサナー瞑想、ゲシュタルト療法、リコネクティブヒーリング、柳沢桂子さん訳の「般若心経」等々。「心の時代」の影響かもしれない。

小我を捨てて
大我にまかせると
ものごとは
すべてうまくゆく
という

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