2019.02.15

おことば

ついたちと15日は氏神様にお参りしている。日々、無事に暮して行けることを感謝し、そのお礼に行く。

むかし神和教という神道系の宗教に縁があって、自分が行き詰まったとき、そこの先生にいろいろ相談をしていた。先生から話を聞くこともあるが、神前で「おたずね」をするとその先生に神様が下りてきて、いろいろ教えてくれるのである。神様の「おことば」をじかに聞くことができるというわけだ。

はじめは叔母が通っていて、わたしは運転手として行っていた。疑り深い私は、心でせせら笑っていたが、いろんな事象が積み重なっていくうちに、こういう世界も実際にあるのだな、と思うようになった。

あるとき、「今年は毎月15日に雨が降るそうよ」と叔母が言う。そう神様が言っていたというのだ。そんなバカなことがあるものかと思ったが、以来、毎月その15日が気になった。半年以上、たしかに15日は雨が降った。大雨のときも小雨のときもあったと思う。ある夏の日、またその15日がやって来た。かんかん照りの日で、今日は絶対雨など降らないと確信していた。ほうら、神様なんていないだろう。自分が勝った、というような気分だった。

ところが夕方になって、ほんの一瞬、パラパラパラと雨が降ってきた。晴れていたのに雨が降ってきたのだ。雨はすぐ止んでしまったが、私は背筋がゾッとした。こんなことがあるのか、と心底おどろいた。

その先生のことを「拝み屋」さんなんて言っていたが、とにかくなんでもよく当たったのを覚えている。だから私も、よく当たる「拝み屋」さんだと思っていた。叔母は信心深く、その先生を通して、いろんな人の悩みを解決する手助けをしていたように思う。

あるとき、私は一人でその教会に行き、神前で祝詞を唱えていた。「胸すまし」という行で、仏前でお経を唱えるようなものである。胸の前で尺(短い棒のようなもの)を持ち、20分ぐらい「胸すまし」のことばを繰り返していると、その尺が少しずつ上にあがり始めた。自分の意志でなく、なにかに引っ張られるように上がっていくのである。最後は両手がまっすぐ伸びきった状態になった。腕が痛いぐらいにまでに。

やがて、尺が少しずつ下りはじめ、もとの位置に納まった。自分は何が起こったのか分からなかった。なんだか大きな力が働いたことだけは事実だった。そうしたら、わきにいた先生が「今日は神様が下りて来てくださってよかったですね」とおっしゃった。

その日、どうやって家に帰ってきたかまったく覚えていない。頭が真っ白という状態になっていたのだ。ただ涙が止まらなかった。悲しいのではなく、わけもなく嬉しいのだ。心の底から嬉し涙が込み上げてくるのだった。

その後、心がずいぶんらくになったように思う。

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2018.12.29

仕事おさめ

今年も、たくさんの方に、ブログ「きょうの発見」を読んでいただき、ありがとうございました。アクセス数を見ると励みになります。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

いちばん
着実に
歩を進めているのは
時間
これだけは確かだ

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2018.12.27

土に帰る

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土に還るのは
一人じゃない
みんな
新しい命に
生まれ変わるのだ

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2018.12.10

山内きみ江さん

日曜日の朝の「こころの時代」は毎週録画している。それを後ですこし見て、興味のないものはどんどん消去していく。だが今回は、国立ハンセン病療養所「多磨全生園」で暮らす山内きみ江さん(84)のドキュメンタリーで、これには釘付けになった。番組の紹介にはこう書かれている。

差別や偏見から、多くを失い、諦めざるを得なかったきみ江さんにとって転機となったのが、67歳のとき、当時、高校を卒業したばかりの真由美さんを養女に迎えたことだった。さらに、社会復帰を目指し、園の外での生活も体験した。人権を踏みにじられながら生きてきたきみ江さんに、人間とは何か、母としての思い、そして、次代に伝えたいメッセージを伺う。

山内さんは、五才のときハンセン病の兆候が見られたが、当時は診断がつかず、症状が進んでいった。末端の知覚神経マヒが強くなり、ヤケドやケガが増えた。小学校では血だらけになったりして、いじめられた。リウマチの診断を受けたが、どうもおかしい。成人したころ、兄嫁がハンセン病ではないかと疑い、静岡の病院に行き、ハンセン病と診断された。いわゆる、らい病である。

ハンセン病はらい菌の感染で起こり、すでに治療薬ができていたが、国はそれまでと同様に患者を隔離した。人間として生きる権利を奪われたという。らい予防法が廃止されたのは平成8年というから、それほど過去のことではない。

12月15日(土)、午後1時から、再放送がある。

http://www4.nhk.or.jp/kokoro/2/

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2018.07.11

ひとつひとつ

いま
いくつもの問題が
同時進行している
ひとつひとつ
解決するしかない

なんとかなる
どうにかなる
いままでも
なんとかなってきた
もの

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2018.06.14

変化する

万物
万事
変化する
この真理は
変化しまい

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2018.04.23

23日

23日は「ふみの日」と言われるようになったのは、いつからだったろう。手紙を書くことをすすめたようだが、いまではケータイやスマホ、PCのメールが幅をきかせているから、手紙を書くことは少なくなった。

私もキーボードを打つことが多いので、字が恐ろしく下手になった。書いていて情けない。手指の筋肉が文字を書くのを忘れていくのだろう。住所と名前すらへんな字になってしまう。

23日といえば、むかし神道系の宗教にお世話になっていて、毎月名古屋に通っていた時期があった。23日に月次祭(つきなみさい)が行われていたのだ。二十代なかごろから始まって、20年ぐらい続いたと思う。車で往復することがほとんどだったが、新幹線を使うこともあった。

その後、ヴィパッサナー瞑想をするようになり、名古屋には行かなくなったが、その頃おしえて頂いたことは、今でも役にたっていると思う。

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2017.12.04

スーパームーン

夕べの月は、とても大きくて明るかった。ほぼ満月だ。けさ、それがスーパームーンだったことを知った。月がかなり地球に接近したらしい。以前にも、月があまりにも明るいので夜中に目が覚めたことがある。それくらい、ふだんの月とは違って見える。

夜が今よりずっと暗かった時代、人々は月や星の変化には敏感だったことだろう。夕べ月を見たときも、なんとなく胸騒ぎがした。そうしたら夜、電話が来て、昔お世話になった人が亡くなったと知らされた。信仰ひとすじに生きた方である。胸騒ぎは偶然ではなかったような気がする。

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2017.09.25

師の訃報

人生の師
というべき方が
亡くなられた
ただただ
冥福を祈る

この方の
講話を
出版したころ
毎日が
充実していた

人は
みな死ぬ
いつ
どう死ぬかが
違うだけ

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2017.08.26

すべては一つ

瞑想は
自分の
呼吸と感覚を
淡々と
観察すること
 

相手の
からだの感覚を
受けとり
感じとるのも
いい
 

どちらも
宇宙の根源的な
エネルギーと
一体になる
チャンスがある

雑念が
わいたら
意識的に
強めの呼吸に
変えてみよう
 

流行りの
マインドフルネスも
短時間の瞑想で
仕事の効率が
上るという

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