2019.03.21

古井戸のお清め

春分の日。風がつよい。11時ごろ、栗平へ叔母を迎えにいった。手づくりの料理や野菜をくれるというので、パッソに積んで来た。叔母は新築の家へは初めて入る。家を建て直した事情を察しているので、時代の流れだから仕方がないねという。

しばらくして、「井戸はどうしたの?」と言う。そこで、私も古い井戸があったことを思い出した。新築の際、なにか忘れていることがあるような気がしていたが、その井戸のことだったのだと気が付いた。井戸は水神様がやどるので、お祓いをしたほうがいい。そう昔から聞いている。そこで、さっそくお祓いをすることにした。本来は神主を頼むべきところだが、私自身が神和教という道に縁があり、そのお祓いの手順は心得ている。略式になるが、心を込めて勤めさせてもらおうと思った。

さっそく神棚にコップ一杯の酒と米塩を供え、「古井戸のお祓いをさせていただきますので、どうぞ力をお貸しください」と祈った。それから、サカキの枝を採ってきて、半紙で「紙垂(しで)」を付け、お祓いの準備をした。

30分ほどしてから、お神酒と米塩を下げ、叔母と我々夫婦と三人で古井戸のあった場所に向かう。叔母が「このへんよ」と言うので、そこに向かい、お祓いをさせていただきますと声をかけた。お世話になったことを丁重に述べ、お清めが遅れたことを詫びた。それから榊を持って、三度お祓いをした。そのあと、お神酒を撒き、米と塩を撒いた。

ビールで乾杯し、食事に入る。叔母はフキノトウや野菜の煮物をこしらえてきてくれた。のらぼう菜のカラシ合えがうまい。うちでは赤飯を炊き、高野豆腐の煮つけ、にんじんシリシリなどを作った。以前は、お彼岸にはおはぎを作っていたが、最近は来客が少なくなったのでお赤飯にしている。それでも妻の仕事は忙しい。叔母は話し好きで、いろんな話をしてくれた。これだけ頭が働けば当分認知症には縁がないだろう。

だいぶ時間が立ってから、神棚を見ると、コップが一つ増えている。お祓いをさせてもらったあと、妻がお礼に水を上げてくれたのだそうだ。そのコップを見ておどろいた。コップにみごとな水花が咲いているのである。水花とはコップの内側に水が小さな泡をつけることだ。数個のときもあるが、サイダーの泡のようにたくさんつくこともある。われわれはそれを見て、思いが天に通じたと考える。叔母もそれを見ておどろいていた。明らかにたくさんの水花が咲いていたのである。毎日上げているコップのほうは何も変化がないのに、お礼をしたほうは水花がたくさん咲いている。

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2019.03.08

断捨離の目的

ものがいっぱいあって、片づかない。 だから、ものを減らせばいい。捨てればいい。ところが、なかなか捨てられない。まだ使える。いつか使う。買ったとき高かった。大切な人から記念にいただいた。要するに、もったいなくて捨てられないのだ。だから片づかない。

久しぶりにまた、断捨離のやましたひでこさんの話を聞いた。断捨離はものの片付けが目的ではない。気持ちよく暮す手段なのだ。

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2019.02.15

おことば

ついたちと15日は氏神様にお参りしている。日々、無事に暮して行けることを感謝し、そのお礼に行く。

むかし神和教という神道系の宗教に縁があって、自分が行き詰まったとき、そこの先生にいろいろ相談をしていた。先生から話を聞くこともあるが、神前で「おたずね」をするとその先生に神様が下りてきて、いろいろ教えてくれるのである。神様の「おことば」をじかに聞くことができるというわけだ。

はじめは叔母が通っていて、わたしは運転手として行っていた。疑り深い私は、心でせせら笑っていたが、いろんな事象が積み重なっていくうちに、こういう世界も実際にあるのだな、と思うようになった。

あるとき、「今年は毎月15日に雨が降るそうよ」と叔母が言う。そう神様が言っていたというのだ。そんなバカなことがあるものかと思ったが、以来、毎月その15日が気になった。半年以上、たしかに15日は雨が降った。大雨のときも小雨のときもあったと思う。ある夏の日、またその15日がやって来た。かんかん照りの日で、今日は絶対雨など降らないと確信していた。ほうら、神様なんていないだろう。自分が勝った、というような気分だった。

ところが夕方になって、ほんの一瞬、パラパラパラと雨が降ってきた。晴れていたのに雨が降ってきたのだ。雨はすぐ止んでしまったが、私は背筋がゾッとした。こんなことがあるのか、と心底おどろいた。

その先生のことを「拝み屋」さんなんて言っていたが、とにかくなんでもよく当たったのを覚えている。だから私も、よく当たる「拝み屋」さんだと思っていた。叔母は信心深く、その先生を通して、いろんな人の悩みを解決する手助けをしていたように思う。

あるとき、私は一人でその教会に行き、神前で祝詞を唱えていた。「胸すまし」という行で、仏前でお経を唱えるようなものである。胸の前で尺(短い棒のようなもの)を持ち、20分ぐらい「胸すまし」のことばを繰り返していると、その尺が少しずつ上にあがり始めた。自分の意志でなく、なにかに引っ張られるように上がっていくのである。最後は両手がまっすぐ伸びきった状態になった。腕が痛いぐらいにまでに。

やがて、尺が少しずつ下りはじめ、もとの位置に納まった。自分は何が起こったのか分からなかった。なんだか大きな力が働いたことだけは事実だった。そうしたら、わきにいた先生が「今日は神様が下りて来てくださってよかったですね」とおっしゃった。

その日、どうやって家に帰ってきたかまったく覚えていない。頭が真っ白という状態になっていたのだ。ただ涙が止まらなかった。悲しいのではなく、わけもなく嬉しいのだ。心の底から嬉し涙が込み上げてくるのだった。

その後、心がずいぶんらくになったように思う。

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2018.12.29

仕事おさめ

今年も、たくさんの方に、ブログ「きょうの発見」を読んでいただき、ありがとうございました。アクセス数を見ると励みになります。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

いちばん
着実に
歩を進めているのは
時間
これだけは確かだ

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2018.12.27

土に帰る

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土に還るのは
一人じゃない
みんな
新しい命に
生まれ変わるのだ

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2018.12.10

山内きみ江さん

日曜日の朝の「こころの時代」は毎週録画している。それを後ですこし見て、興味のないものはどんどん消去していく。だが今回は、国立ハンセン病療養所「多磨全生園」で暮らす山内きみ江さん(84)のドキュメンタリーで、これには釘付けになった。番組の紹介にはこう書かれている。

差別や偏見から、多くを失い、諦めざるを得なかったきみ江さんにとって転機となったのが、67歳のとき、当時、高校を卒業したばかりの真由美さんを養女に迎えたことだった。さらに、社会復帰を目指し、園の外での生活も体験した。人権を踏みにじられながら生きてきたきみ江さんに、人間とは何か、母としての思い、そして、次代に伝えたいメッセージを伺う。

山内さんは、五才のときハンセン病の兆候が見られたが、当時は診断がつかず、症状が進んでいった。末端の知覚神経マヒが強くなり、ヤケドやケガが増えた。小学校では血だらけになったりして、いじめられた。リウマチの診断を受けたが、どうもおかしい。成人したころ、兄嫁がハンセン病ではないかと疑い、静岡の病院に行き、ハンセン病と診断された。いわゆる、らい病である。

ハンセン病はらい菌の感染で起こり、すでに治療薬ができていたが、国はそれまでと同様に患者を隔離した。人間として生きる権利を奪われたという。らい予防法が廃止されたのは平成8年というから、それほど過去のことではない。

12月15日(土)、午後1時から、再放送がある。

http://www4.nhk.or.jp/kokoro/2/

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2018.07.11

ひとつひとつ

いま
いくつもの問題が
同時進行している
ひとつひとつ
解決するしかない

なんとかなる
どうにかなる
いままでも
なんとかなってきた
もの

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2018.06.14

変化する

万物
万事
変化する
この真理は
変化しまい

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2018.04.23

23日

23日は「ふみの日」と言われるようになったのは、いつからだったろう。手紙を書くことをすすめたようだが、いまではケータイやスマホ、PCのメールが幅をきかせているから、手紙を書くことは少なくなった。

私もキーボードを打つことが多いので、字が恐ろしく下手になった。書いていて情けない。手指の筋肉が文字を書くのを忘れていくのだろう。住所と名前すらへんな字になってしまう。

23日といえば、むかし神道系の宗教にお世話になっていて、毎月名古屋に通っていた時期があった。23日に月次祭(つきなみさい)が行われていたのだ。二十代なかごろから始まって、20年ぐらい続いたと思う。車で往復することがほとんどだったが、新幹線を使うこともあった。

その後、ヴィパッサナー瞑想をするようになり、名古屋には行かなくなったが、その頃おしえて頂いたことは、今でも役にたっていると思う。

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2017.12.04

スーパームーン

夕べの月は、とても大きくて明るかった。ほぼ満月だ。けさ、それがスーパームーンだったことを知った。月がかなり地球に接近したらしい。以前にも、月があまりにも明るいので夜中に目が覚めたことがある。それくらい、ふだんの月とは違って見える。

夜が今よりずっと暗かった時代、人々は月や星の変化には敏感だったことだろう。夕べ月を見たときも、なんとなく胸騒ぎがした。そうしたら夜、電話が来て、昔お世話になった人が亡くなったと知らされた。信仰ひとすじに生きた方である。胸騒ぎは偶然ではなかったような気がする。

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