形見とて
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天気がよいので、長池公園に野鳥を見に行った。長池公園は多摩市かと思っけど、もう八王子市に入るということだ。ちょっと先は高尾山だ。この公園で一月にルリビタキを見たので、また遇えるかもしれないと思って行ってみたのだ。すでに紅葉もピークを越し、すっかり葉を落とした木も目立つ。ヒヨドリが騒ぐなか、ガビチョウ、ヤマガラ、コゲラ、シジュウカラ、などを観察した。お目当てのルリビタキは見られなかった。
けさ家の畑の杭に止まったジョウビタキの雄の写真と、ケヤキのてっぺんに来たメジロのペアの写真も載せておこう。どちらも少し遠いのでボケぎみである。
人間は
霊長類で
頭はいいが
野鳥は
空を飛べる
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心配だった。内藤が入れ込み過ぎている。感情が先回りしている。WBCはオープン・スコアリング・システムをとっており、4回と8回に採点が公表されるから、最初にリードしておこうと思ったのだろうか。一方、亀田は妙に落ち着いている。負けてもともとだから、ふだん通りの力を出せばいい。そんな感じで、力みがない。試合は案の定、内藤が攻め、亀田がかわすという構図になった。どちらがチャンピオンで、どちらが挑戦者か分からない。
内藤大助は積極的に前に出た。手数も多かったが、やや大振りの感じがした。亀田興毅はアウトボクシングに徹し、カウンター狙いで、コンパクトなパンチを出した。2ラウンド、亀田のノーモーションの左ストレートが内藤の顔面をヒット。いきなり飛んでくる強烈なパンチだ。内藤の顔がつぶれ、一瞬、腰がぐらついた。鼻はみるみる腫れ上がり、血が流れ落ちた。この一発が流れを決めたように思う。手数では内藤が上回ったが、有効打、ガード、試合の主導権、は亀田が握った。亀田の懐に入れない内藤のもどかしさが伝わってくる。入ろうとすると、カウンターが飛んでくる。しかし、これもボクシングだ。現実はきびしい。
亀田興毅はこの試合のため、特別なトレーニングを積んだという。科学的な筋トレだ。だいぶ筋力アップを図ったらしく、リングに上がったとき、首や腕が一回り太くなった感じがした。パンチも強くなったに違いない。首まわりの筋肉が強くなったぶん、打たれ強くなったのかもしれない。けさTBSの「朝ズバ」に生出演していたが、試合前のような悪たれはつかず、内藤選手をたたえ、感謝していた。精神的にも大人になったようだ。
試合は3-0の判定で亀田の勝ち。がんばった内藤大助さんにも、拍手。
燃い内藤は
前に出る
冷めた亀田は
カウンター
いい試合だった
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多摩川の河川敷で、のぼりとゆうえん隊の芋煮会を開いた。雨は降らなかったが、曇りで寒い。さすがに、バーべキューをやる人は少ない。こんなときこそ、温かい芋煮と炊きたてのごはんが美味しい。拾った球でサッカーの真似ごとをしたが、ちょっと体を動かすと温かくなる。ありがたいことだ。武ちゃんの太鼓が川辺にこだました。
小学生が近寄ってきて太鼓を見つめているので、「やってみる?」というと、トコトコトコトンと見事なバチさばきを見せてくれた。宿川原小学校で和太鼓をやっているらしい。一芸に秀でると、自分に自信がつくのだろう、照れながらも誇らしげだった。 一芸に秀でる、これは誰にとっても大切なことではなかろうかと思う。成績でなくてもいいのだ。
となりのテントでは、外国人が半分ぐらい混ざって着替えをしていた。それから、みんなランニングに出かけてゆく。帰りがけに何をしているのかと訊いたら、「トレイル・ランニングというゲームを楽しんでいるということだった。要するに、走るオリエンテーリングらしい。曇っていても野外で楽しめることは少なくないのである。
マサツーセッツ(masa2sets)というロックデュオも芋煮会に加わった。CDをもらったので、お礼にリンクを貼っておこう。12月23日、下北沢でライブをやるらしい。
ほんの少し
動いただけで
からだが温まる
寒い日ほど
動けばいいのだ
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視線という言葉に代わって、目線という言葉をよく耳にする。もともとは、映画・演劇・テレビ界の用語だったらしい。いわゆる業界用語というやつだ。視線というと、その語感から、なにやら細い鋭い見方のような印象をうける。目線というと、もっとやわらかく俗っぽい響きがある。視線というと文章的で、目線というと会話的な感じもする。目線というと、以前はかなり違和感があったが今ではあまりない。慣れてしまったのだろう。
目線はまた、「上から目線でものを見る」などというようにも使われる。この場合は、目上のものが目下のものを見る、というような意味だ。威張ってる、お高く止まっている、に近い。文字通り「見くだす」ことで、あまりいい意味では使われない。だが状況はよく分かる。これを「上からの視線でものを見る」とやっても、ピンとこない。言葉は本当に生き物だと思う。ただ、この「目線」という言葉が「視線」を駆逐するかどうかは分からない。
目線という言葉は
普段着で
わかりやすい
視線はちょっと
よそいきになるかな
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箱根美術館と強羅公園に行ってきた。ゆうべから雨になったが、朝はほとんど傘が要らない状態だった。朝7:47、向ヶ丘遊園駅に停車するロマンスカー「はこね3号」に乗って、箱根湯本に向かう。急行でもいいが、やはり前向き座りで、停車駅の少ないロマンスカーに乗ると旅行気分がでる。箱根登山電車への連絡もいい。京子が「トコトコキップ」なるものを買ったが、これは登山電車とケーブルカーが乗り降り自由になるキップだという。これを見せると強羅公園の入場料(500円)が無料になるそうだ。
登山電車は力強く、ゆっくりだがぐいぐいと箱根の山を登ってゆく。山の上は雲に隠れている。電車は解説付きだが、山が見えないので解説通りにいきません、と車掌がアナウンスをする。スィッチバックのところに着くと、小学校のころ初めて登山電車に乗ったときの興奮がよみがえる。あのときと、電車はほとんど変わっていないように思う。ときどき国道一号線が見え隠れするが、ここを箱根駅伝の選手は走って登ってしまうのだと思うと感心することしきりである。
登山電車から
見え隠れする
国道一号線
駅伝の選手が
見え隠れする
箱根には何度も行っているが、ケーブルカーを途中で降りた記憶がない。いつも早雲山まで行き、ロープウェイを使って大涌谷から芦ノ湖にいってしまう。仙石原のほうに行くときは強羅を通らない。今回は、強羅から二つ目の「公園上駅」で降りた。電車を降りると、目の前が箱根美術館で、となりが強羅公園だ。まずは美術館に入る。焼き物、埴輪、掛け軸など、そうとういいものが並んでいる。それから庭に出た。庭にはもみじがたくさん植えられており、紅葉真っ盛りだった。苔の上に散るもみじも趣がある。
こどもの頃から
箱根八里を
愛唱しているが
歌詞はさっぱり
ただ勢いで歌う
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五行歌は
添削をしない
その人の
その人らしさを
大切にしする
Gogyohka
dissuade corrections
to protect
the original
as it is
これはとても大事なことだと思う。添削した瞬間、その歌はその人の歌ではなくなってしまう。まえに、ある五行歌のコミュニティーに入っていたことがある。その主宰が短歌をやっていた人らしく、厳しく批評をしてくるのだ。最初は勉強になると思っていたが、だんだん面白くなくなってやめた。添削にしたがうと、元の意味とはまるっきり違うものになってしまうからだ。俳句などは、俳諧は言葉の遊びと割りきって、平気で雨を雪にしたりする。だが五行歌は本心を詠うのだから、添削したら元も子もない。下手でも、つたなくても、その人が現れているところが面白いのだ。
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その日のことを
覚えているわけではないが
11月20日は
わたしの誕生日だそうです
お父さんお母さんありがとう
細君が
ダブルチョコベーグルを
買ってきてくれた
いまそれを
ほお張っている
誕生日は
親に感謝する日
と決めている
わたしが何かを
したわけじゃないから
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