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2020.01.14

知性より心

関東合同歌会のときの主宰の話がよかった。こんな内容だった。

戦後、日本でも世界でも、知性派が流行した。若い私は知性なんかで詩を書くか、という気持ちで「愛」の歌を、できるだけ下手に書いた。この反知性運動は、たった一人でやった。それでも私の『ほんとうに愛していたら』という恥ずかしいようなタイトルの詩集がよく売れて、ある程度、普通の本能を持った若者の詩歌が、そのま歌われるような時代ともなった。

知性派のほうは、日本だけでなく世界中で絶滅したに近いものとなった。

その後、私は五行歌の形式としての新しさのほうに力を注ぎ、今日の五行歌が育ってきた。もはや、決定的に新しいよい作品を数多くの五行歌人が作る時代となり、旧来の定型詩型にはできない新しい詩歌がどんどん誕生している。いずれは、この時代に研ぎ澄まされた言葉は、五行歌にしかなかったとみなさんが気づくときがくる。

知的は知識的です。知的、知性というといやな感じがするのは、言葉を狩猟するようないやな人間を想起させるからでしょう。「思い」のほうそういう嫌味を伴わない。自己自身でありながら、つねに思い返すスパイラルの極限を持っているからだろう。それに対して、知性は「嘔吐」を伴います。そんなものが、知性でしょうか。「東大王」がほんとうに感心する言葉を発するということもあり得ない。(草壁焔太先生・五行歌HPの掲示板より引用)

頭を
もぎ取らないと
心を
動かす歌など
生まれない

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