2013.05.31
2013.05.30
長谷寺のアジサイ
江の島で海鮮丼とシラスの南蛮風フライを食べて、江ノ電の江の島駅まで歩いた。旧市街らしく、おもしろいお店がならんでいた。それから江ノ電に乗って長谷まで行く。長谷寺と光則寺の紫陽花を見るのが目的だ。
長谷寺ではまず観音様にお参り師、それから喫茶室で抹茶と和菓子をいただいた。京子はくずきりを注文した。和菓子は「ほたる」と命名されており、これがなかなかうまい。小豆をホタルに見立て、黄色いねりきりで丸く光をあしらっている。季節感たっぷりだ。ウエイターは作務衣を着た修行僧で、頭を丸めている。ここのカレーは精進カレーらしい。次回に挑戦してみよう。
紫陽花はまだ咲き始めだが、山紫陽花はすでに満開のものが多い。めずらしい花もたくさん見ることができた。長谷寺は展望がきく。由比ヶ浜の海ではウインドサーフィンの帆が右に左に流れていた。
ちょうど遠足や修学旅行のシーズンで、江ノ電の駅も道路も子供たちであふれていた。長谷の観音様と大仏は見学コースから外すわけにはいかないのだ。引率の先生も大変である。
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2013.05.29
江の島へ
水曜日、江の島と鎌倉に行った。天気予報では、折り畳み傘をお持ちくださいと言っていたが、ほとんど雨は降らなかった。お昼頃は日が差すくらいだった。この竜宮城みたいなのが、小田急線の江の島駅。週末や海水浴の季節になると人が出る。
江の島では、杉山検校のお墓参りをした。杉山検校は本名が杉山和一で、江戸時代の鍼(はり)治療の名医。筒を使って鍼を打つ方法を考案した人である。鍼を管に入れて柄のほうを軽く叩くと、細い針でも鍼が曲がらずに一瞬にして皮膚に入る。この方法だと、ほとんど無痛で鍼を打つことができるのだ。マーガレットやナデシコなど、庭に咲いていた花を供え、鍼管を使わせてもらっているお礼をした。
展望台や岩屋のほうは何度か行っているので、今回はヨットハーバーのほうに行ってみた。まだシーズンオフなのでひっそりしている。先端の防波堤に登ると、それでも2、3艇のヨットが見えた。トンビが気持ちよさそうに舞っている。
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2013.05.28
プロの仕事
畑に夏野菜が植えられており、もうまもなく実をつけ始める頃だ。ここはナスの畑だが、1本1本ていねいにあんどんが仕立てられている。短い4本の支柱に肥料の空き袋がかけられているのは。寒さと風よけのためだろう。畝が立てられて白マルチが施されている。これは雑草を止め、乾燥を防ぐためだろう。白いのがよく光るから害虫よけも兼ねているのかもしれない。
畝の間隔が広いが、ここのナスは2mぐらいに育つから、収穫の作業がしやすいようにしてあるのだろう。ふつうなら土が露出する部分も雑草が生えないように黒マルチが施されている。向こうにはキュウリやトウモロコシの畑が見える。プロはいい仕事をするものだ。
農業は
からだも使うが
頭も使う
売るような野菜をつくるのは
なかなか大変である
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2013.05.27
蚊に喰われる
草むしりで
早くも
蚊に喰われた
いよいよ
夏だ
西の方は
梅雨入りしたとか
つぎは関東だ
空気が
湿気を帯びている
三浦雄一郎さん
ヘリでカトマンズ着
登ることに
力を使い切るから
下山は命がけなのだ
こんどは
自称81歳の
ネパール人が
登るとか
ほんとかよ
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2013.05.26
2013.05.25
登戸東通り商店街のナイトバザール
久しぶりの登戸東通り商店街の「わくわくナイトバザール」だ。今日は天気がよく、ものすごい人出だ。のぼりとゆうえん隊では「あんみつ屋」さんをやっていた。あんこのプロ・荒井君の渾身の作であるあんみつはうまかった。かんてん、求肥、干しあんずが入って、カップなんと150円。お持ち帰りも買った。
いつものハヤシライス屋さんには長い行列ができていた。地ビールを片手に、道端での食事となった。石橋酒屋さんでは、ごぼうかりんとなどを買った。どこの店にも子供店長が3人いて、小学生が販売実習をしている。わきにそっと先生が立っている。そう、登戸小学校の生徒さんが参加しているので、その友達や家族なども来ているのだ。お米屋さんの前のステージもいろんなバンドが出て代わる代わる演奏し、大いに盛り上がっていた。
奥のステージでもダンスや太鼓をやっている。これは深沢高校の太鼓演奏である。ちょっとOBもまざっている。あざやかな太鼓の乱れ打ちに観客から拍手が巻き起こった。リサイクルショップや綿あめもある。輪投げや射的などのゲームコーナーも行列ができていた。区画整理で落ち着かない街だが、みんながんばっている。
手をこまねいていても
何もはじまらない
まず動く
できることをやる
その過程を楽しもう
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2013.05.24
ユリノキの花
ユリノキの花@新宿御苑2006 (from KK's blog)
久地の「たまりばーる」に昼食を食べに行った。途中、府中街道沿いのユリノキの街路樹を見ながら、そろそろ花が咲く頃だなと思った。ただ、ここの街路樹は冬場につよく剪定されているので、花芽を持っているものは少ない。それでも信号待ちをしていたら、薄いオレンジ色の花を2、3個、見つけることができた。それも葉っぱに隠れたりして、全体が見えるわけではない。
上の写真は「ユリノキの花」を画像検索したものの一枚で、2006年に新宿御苑で撮影したものとある。新宿御苑のユリノキは大木で、花もほぼ目の高さまで垂れ下がっているものがあり、よく観察できるらしい。ただし、いまブログを見たら、ユリノキの花は「見頃すぎ」と書いてあった。来年は注意してみることにしよう。下の写真は去年、わたしが撮影したもの。
http://yokido.cocolog-nifty.com/today/2012/05/post-c106.html
おしゃれな盃を
いくつも並べて
甘露が落ちてくるのを
心待ちにしている
御苑のユリノキ
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2013.05.23
2013.05.22
2013.05.21
2013.05.20
セダム(万年草)
道端に黄色い小花が芝桜のように群生しているのを見つけた。花びらが細く、5角形をしているので星のように見える。とても鮮やかな色をしている。キリンソウのようでもあるが、もっと花が細かいし、葉っぱが肉厚だ。ネットで「黄色い小花、星」と入れて検索すると、どうやらセダムという植物らしい。あまり聞かない名前だ。日本語では万年草と書いてマンネングサという。
セダムはキリンソウ属ベンケイソウ科の多肉植物で、乾燥に強く、丈夫な花とある。万年草というが花は5月から6月にかけて咲き、葉が一年中青いのでそう呼ぶらしい。多肉植物というから、シャボテンの親戚なのだろう。乾燥に強いので最近、屋上緑化などに利用されているそうだ。あまり背が高くならないのも扱いやすいのだろう。
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2013.05.19
このあいだまで、人生50年
日本人の平均寿命の推移の表がある。それによると、昭和22年になってはじめて50歳に到達したことがわかる。明治、大正の頃の平均寿命は42~43歳ぐらい。それが昭和に入るとぐんぐんのびて、戦後にはほとんど50歳に近づいた。戦争がなければ、50歳はもっと早く越えていただろう。それからがすごい。昭和30年には60歳、昭和50年には70歳に到達し、いまや80歳を越えている。なんと明治大正の頃からすると二倍も長生きになったことになる。
むかしは子供が病気や事故、飢えなどで死ぬことが多かったから、それを割り引けば大人はもう少し長生きしていたかもしれない。それでも60~70歳ぐらいまでだろう。還暦まで生きればいいほうだった。それが証拠に、70歳は「古来稀なり」といって古希を祝うではないか。経済が発達して生活が豊かになり、栄養状態がよくなった。医療の進歩のおかげで子供の死亡率が下がり、血圧のコントロールができるようになったりして、長生きをする人が飛躍的に増えた。
戦後はまだ「人生50年」だったのである。それが、またたくまに60年、70年となり、いまや人生80年。秦の始皇帝が不老不死の妙薬を求めたように、長生きは人類の夢だった。そのことを考えれば、人生80年という時代を迎えたということは狂喜乱舞していいぐらいである。
平均寿命80年ということは、90歳や100歳の人がぞろぞろいる勘定になる。若くして亡くなる人もいるからだ。いまや、われわれはまったく未知のゾーンに突入したのである。ヒトの死亡率は100パーセント。いずれはみな死ぬ。年をとれば心身が弱まり、介護が必要になる。ひとりでは生きていけない。まずは長寿社会に生きられることを心から感謝し、強い人が弱い人をたすけ、この古来稀なる時代を乗り切っていかなければならない。
平均寿命が
五十歳を超えたのが
昭和二十二年だという
いまや人生八十年
じつに有り難いことだ
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2013.05.18
人生はしゃぼん玉
先日、ある五行歌会の記念歌集が送られてきた。
その中にすばらしい五行歌があったので紹介する。
私もこんな五行歌が書けたらなあと、つくづく思う。
人生は 神島宏子
しゃぼん玉
虹色に輝くときが
一瞬
あればいい
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センダンの花
なんとかわいらしい、なんとやさしい、なんと上品な花だろう。ランの花かと見まごう。宿河原の緑化センターでセンダンの花が咲いていると、namikoさんのブログに書いてあったので、きのうの昼休みに行ってみた。事務所の人に「センダンはまだ咲いていますか」と聞くと、「いや、咲いてない。もう終わった」とつれない返事。センダンの花のことを聞いてから5日ぐらいたったので散ってしまったのかなと思った。
そこで、山野草展や温室の花、きれいなベニヤマホウシなどを見ながら芝生広場に行った。最後に西門のほうに向かった。アメリカシャクナゲの花がきれいだった。そうしたら藤色の小花が風に揺れている。これは何の花かな、と思ったら、なんとセンダンと書いてあるではないか。それが今まさに満開である。さっきのスタッフはセンダンを知らないのだろうかか、はたまた私の質問を取り違えたのだろうか。
風がおさまるのを見計らいながら、いろんな角度から写真を撮った。リラの花をすこし大きくしたようにも見えるし、遠目には藤にも見える。ただ目の高さより上に咲いているので、気づく人は少ないようだ。高さ7、8mの大木である。
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2013.05.17
五行歌の新聞広告
三大新聞と東京新聞などの一面に、五行歌の会の出版部である市井(しせい)社が広告を出した。ひとつは河田日出子著『俺はこわれちゃったんだよ』、もうひとつは五行歌の会主宰の草壁焔太著『もの思いの論』。前者のほうが活字が大きいから、そちらに力を入れていることが分かる。
内容は在宅介護の記録で、文章と五行歌でつづったものだが、なんといっても「俺はこわれちゃったんだよ」というタイトルがいい。著者とは昨年、お正月の歌会でご一緒したことがあるが、詩歌人で文章も書いておられるとのことだった。早くから五行歌をやっているらしい。それだけに、文章が読みやすく、五行歌も真実を詠い、胸をゆさぶるものが多い。
草壁焔太先生の『思いの論~五行歌を形づくったもの』はちょっと難しいかもしれないが、日本の哲学は「もの思い」とする、初の大和ことばの哲学書、とコピーにあるように、漢字ばかりの難解な哲学書とはちがうので、これも興味を持つかたが多いのではないだろうか。古事記や日本書紀に見られる古代歌謡は五七調などの制約を受けず自由だった。ほんらい、歌とはそういうものだ。「なぜ五行歌なのか」という疑問への答えが見つかることだろう。
お出かけは 河田日出子
いつも病院
アルツハイマーの夫に
ぱりっとした
背広を着せる
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2013.05.16
デッサン0013
絵画教室ははじめ月4回だったが、ちょっときついので月2回に減らした。休日に遠くに出かけることができないし、心理的にも忙しい。今日は、午前中に草取りをして、午後はしんゆり五行歌会に出た。その二次会のあと、登戸での絵画教室に行ったから、けっこう忙しい。今日の画材はカボチャで、四分の一だけ切り取ったところを描いた。始めのころは用心深かったが、最近は鉛筆でも濃くかけるようになった。
先生のアドバイスは、手前の切り口の奥行感をだすために、カボチャの皮の色の濃さと切り口の明るさのコントラストをつけるといいとのこと。例によって、教室は天井灯が複数のダウンライトなので、影がたくさんできるので難しい。それでもカボチャらしく仕上がった。
ほぼ完成したのに掛け時計を見るとまだ7時。感覚的には1時間40分はたっているだろうに。しばらく絵に手を入れていたが、疲れたので帰ろうとすると、なんと掛け時計の電池が切れたらしく、時計が大幅に遅れていた。やはり体内時計のほうが正しいようだ。
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2013.05.15
しんゆり五行歌会(5月)
きょうの歌会は13人出席。町田歌会から華凜さんが、青葉歌会から市田さんがゲストとして参加してくれた。いつものように笑いの絶えない歌会だった。ゲスト2人に感想をうかがうと、「楽しい歌会でしたが、歌以外の話題が多いように思います」と言われてしまった。そういえば、しんゆり歌会はサロン風で、「五行歌いのち」というような奇特な人はいないようだ。他の歌会に出て、交流を深めるのも勉強になるだろう。
じっとしていると 華凜(一席)
歌が湧いてくる
切実な命の歌
あっちこっちにがんを背負って
なお生きようとする
うす紅色の洞(ほこら)に 中川(一席)
餌をあさる
虫のごとくに
カメラは進む
胃の奥ふかくに
我が家に嫁入りして十五年 片野(三席)
「ママ思い」という名の洗濯機
病気一つせずよく働く
こんなことも
庶民の生活には感謝の一つ
言葉に 神川(三席)
裏や表のあること
もう思いたくない
素直に受けて
笑って返す
革靴からスニーカーへと 市田洋子
退職1年生らしき夫(ひと)
声も歩も弾むウオーキング
添う妻は
ただ黙々と
ポンタカードで 京子
抹茶ラテが
三十円引きに
なりますよ、につられ
また増えたカード
床屋さんで ripple
白髪をぼかしてもらうと
気分が若返る
ウソはよくないなんて
言わないで
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2013.05.14
病気にならない生き方
ホリスティック医療について語る安保教授
パーキンソン病の患者さんを治療しているが、針灸治療がよく効く。以前にも、かなり震せんの激しい人が直接灸でおさまったことがある。パーキンソン病の原因は脳内のドーパミン不足であることが分かっており、それを補う特効薬がある。しかし、薬は飲み続けなければならないし、やがて効き目が落ちてくる。薬物治療には限界があるのだ。
新潟大学の安保徹先生は、以前から自律神経免疫療法を提唱しており、ストレスが交感神経を興奮させ、からだに緊張を生じ、これがほとんどの病気の原因になっていると説く。副交感神経を優位にするように生活態度をあらためることをすすめている。いわゆる、ホリスティック医学を提唱しているのである。
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2013.05.13
バラの季節
あちこちでバラの花が咲き始めた。とくに、このカクテルは人気があるようだ。生田宿のバス停のそばでは大きなチャールストンが咲いていた。ところで、こんどの木曜日から生田緑地のバラ苑が開放される。関係者が治療にみえているが、今年はバラの開花も早かったようで、早咲きのなかにはもう花の終わりが近づいているものもあるらしい。早く開放してあげたいけれど、予定が組んであるのでそれはできないという。
生田緑地のバラ苑は6月2日までやっているので、中咲き、遅咲きもゆっくり楽しめる。入場無料で、一日中あそべる。駐車場は一回500円。ただし、バラ苑の入口に向かうところに心臓破りの階段があるので覚悟しよう。自販機やソフトクリームの店はあるが、食堂はないと思っていい。初夏のバラはとにかく勢いがある。5月31日(金)から三日間、コンサートもあるらしい。
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2013.05.12
2013.05.11
ヴィパッサナー・デー
連休あけの朝、治療室に電話が来た。連休にヴィパッサナー瞑想の10日間コースに参加した男性からだった。ときどきうちに針治療に来る患者さんである。「ゴールデンウィークのコースに参加しましたが、すばらしい体験ができました。先生にすすめられたので、お礼を言いたくて電話しました」と、やや興奮気味に瞑想コースの話をしてくれた。
千葉の瞑想センターは一月に行ったときは男性のトイレが仮設式だったので遠く、不便だったのではないかと心配したが、新しいトイレができていたそうだ。参加者は60人ほどで、宿泊棟には入りきれないのでテントで寝泊まりした。ただ、テントは一人用なのでプライバシーが保ててよかったという。奉仕者棟のログハウスもできたし、センターはますます充実していくようだ。
お昼ごろ、春秋社から本が送られてきた。『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』の11刷が出たという。増刷のたびに、訳者の私に一冊ずつ献本してくれる。地味な本だが、確実に売れているようだ。嬉しいかぎりである。
午後、60代の女性にヴィパッサナー瞑想の話をしたら、『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』を買ってくれた。消費税サービスで2,300円である。この女性は難病をわずらっているが、針治療が効いて、だいぶ症状が改善している。
朝の電話、お昼の献本、午後のお買い上げ。きょうは、ちょっとしたヴィパッサナー・デーだった。ヴィパッサナー瞑想はいい。宗教色はいっさい無い。一人でも多くの人がこの瞑想を体験することを祈っている。
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2013.05.10
2013.05.09
2013.05.08
五行歌誌投稿歌(5月号)
人のよい
若者がふえた
平和な証拠だが
がまんが足りないのが
気になる
五本指の靴下を
愛用している
これを手で編んだら
何日かかるだろうと
履くたびに考える
夜中に
足首を捻った
六〇キロからの
体重だもの
重いわなあ
歯がぐらつくので
煎餅を砕いて
食べたりしている
年をとれば
年寄りらしくなる
神棚の榊が
小さな新芽を
吹いている
なんだか
うれしくなる
絵を習い始めた
一生懸命観察し
一生懸命写生する
とにかく楽しくて
時間がふっ飛ぶ
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2013.05.07
犬はおのれを
日曜日のNHK短歌に入選した歌のひとつ。これには笑った。なにがなしは、なんとなくの意。たしかに、犬は家族の中で自分が二番目だと思っているという。ご主人様には従うが、女や子供たちは自分より下のものと思っているきらいがある。もっとも奥さんが一番の家庭も少なくないだろう。要するに、犬は自分を人間と思っているのだ。それだけにかわいくもある。
反面、猫は自分を人間どもを超越した存在だと思っている風がある。タンスの上などに乗って、人間を冷やかに見下ろしてる姿は、さとりを開いた風貌さえある。自分を神と思っているのかもしれない。短歌では珍しくユーモアあふれる歌だ。ただ残念ながら、この歌は特選三首には選ばれなかった。五行歌風にしてみよう。
犬はおのれを
人間と
猫はおのれを
神と
思っているようだ
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2013.05.06
2013.05.05
2013.05.04
古傷がうずく
きのうの3日は生垣の刈り込みをした。ヘッジトリマーという機械でサカキの垣根を刈るのだが、いわゆるバリカンである。太い枝をのこぎりで切ったり、整枝をしたり、刈り落とした葉をビニール袋に入れてかたづけたり、まめに体を動かした。玄関のアプローチの小笹もバリカンで刈った。枯れたツゲの枝を切ったり、落葉を片づけたりした。
あまりからだを動かしたせいか、夕べは寝苦しかった。むかし交通事故で傷めた背骨が重苦しくなり、じゃっかん息苦しくなる。脚立から落ちて首を打ったところが原因かもしれない。そこで、きょう4日は徹底してからだを休めることにした。妻にお灸をしてもらい、自分でも体操をする。瞑想を3回すると気持ちが落ち着いてきた。撮りためたビデオを見たり、昼寝をしたりしてだらだら過ごす。夕方は地元の総会があったので、それに出席し、藍屋の懇親会にも出た。
背骨に負荷がかかる作業をすると寝苦しくなることは何度かある。労作性の狭心症かと思っていろいろ検査をしてもらったが、異常はない。わたし自身は、交通事故の後遺症で自律神経のバランスが悪くなるのではないかと思っている。パニック障害の気もあるが、それも同じ理由だと思う。昼間ちょっと体をつかいすぎると、交感神経が優位になってしまうのだろう。そうすると、不安感がつのったり、安眠ができなくなる。病院で副交感神経が優位になるような薬をもらっており、それを飲むとよく効く。薬が効くというのはありがたいことである。
からだに
古傷があると
無理をしなくなるし
いろいろ考える
それでいいのだ
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2013.05.03
演劇「大いなる家族」
5月2日の夜は、川崎郷土市民劇「大いなる家族」を観た。終戦直後から十数年間の川崎を沖縄出身の人々を中心に描いたもので、なかなか見応えがあった。わたしは昭和22年生まれだから、親の世代にあたる人々の話だが、戦後のごたごたの中を生き抜くことの大変さがよく伝わってきた。戦後のやみ市や、復員兵、パンパン、赤狩り、登戸研究所、朝鮮戦争。そんななかをたくましく生きる人たちの物語だ。
印象的だったのは舞台を上下に区切った手法で、下の居酒屋「海ぐどう」ではさまざまな人間模様を描き、上は踊り舞台になっていて、そこで数々の沖縄舞踊が踊られたことだ。下を暗転して上で華麗な踊り、三線や琴を演じ、次の場面に移る。おかげで川崎の戦後がだいぶはっきりしてきた。あらすじ等はパンフレットから借用して載せておく。
【あらすじ】
空襲で大きな被害を受けた川崎。戦後の焼け跡に建った居酒屋「海ぶどう」を経営するのは、沖縄出身の加寿子。沖縄から働きに来た客が多く訪れる。米軍統治下の故郷・沖縄には帰れない。そうした中、若い舞踊家明子は「沖縄の誇りを呼び戻し、心の支えに」と、沖縄芸能の巨匠、渡嘉敷の門を叩く。一方、加寿子の親友で教師の悦子は婚約者が中国の戦地で自死、傷心の淵に沈む。貧困、家庭の崩壊、絶望――それぞれ悲しみを抱えつつ人々は助け合い、起ち上がっていく。
5月24日から3日間、川崎教育文化会館でも公演される。
あんなこともあったのか
こんなこともあったのか
二時間あまりの舞台で
親たちの苦労を
あらためて知ることができた
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