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2013.02.12

瞑想のすすめ

ブログを読んでいる方が、日経日曜版(2.10)の文化欄に「瞑想のすすめ」という記事が載っていると教えてくれた。さっそくその新聞を手に入れて読んでみた。永井均という哲学者の一文が載っている。

瞑想をはじめたが、坐禅は退屈だが、いまやっているヴィパッサナーは自分の呼吸や感覚、想念を観察し、絶えずそれに気づいている訓練をする。これはけっこう忙しい。想念の持つ志向性に引っ張られないようにし、それを遮断する。すると心が安定し、やすらいだ毎日を過ごすことができるようになる。
 
たとえば私は今朝、東京駅でちょっと急いでいたのでエスカレーターの右側を歩いて上ろうとしたろころ、私の前の若い男が、右側に乗ったくせに妙にのろのろと歩く。私はむっと来て「こっち側に乗ったならもっと速く歩けよ」と思った。その瞬間、「怒り」「焦る気持ち」・・・というサティが自動的に入ってきて、その気持ちが対象化され一つの出来事となって、しゅわっと消えたのである。以前なら無自覚に没入してしまったであろう感情の生起に、瞬時に気づくことができたわけである。

→記事全文

こんな内容である。哲学者の文章らしく少しむずかしいが、「想念の持つ志向性」というのは、反射的に反応してしまう心の「くせ」のようなものだと考えればいい。いま自分がなにを感じ、何をやっているかに気づき、むやみやたらに反応しないでいることを覚えれば、心を乱すことが少なくなる。そうすれば、やすらいだ暮らしを送ることができるというのである。

呼吸を観察するだけなら、意志が強ければ自分でできないこともないが、遠回りする可能性がある。ヴィパッサナー瞑想は、まずはきちんとした指導者のいるコースで学ぶことが無難だろう。一度コースに参加すれば、あとはひとりでできる。わたしは日本ヴィパッサナー協会が行っている瞑想コースに5回参加し、3回奉仕をした。いまも毎日瞑想をつづけ、その恩恵を受けている。

一生は長い。そのうちの10日間などあっという間である。まずは、ヴィパッサナー瞑想の10日間コースに参加してみてはいかがだろう。そのあと、できれば奉仕をするとよい。長いあいだ瞑想をしている人から、生き方のヒントをたくさん学ぶことができるからである。

日本ヴィパッサナー協会

なんでもやってみる
という姿勢は
思いの外たいせつだ
自分で体験したことだけが
真理となるのだから

参照: 右のカテゴリー「こころ・瞑想」


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コメント

「放心流」へのコメント、ありがとうございました。
座禅も瞑想も、私にはほど遠いものですが、永井氏の想念と客観的に向き合うという見解にはなるほどと感じました。もっとも私の心に浮かぶのは想念ではなく雑念であって、客観的に向き合うといっても、それは難しいことだなと思います。
無我の境地になれないのなら(それもひとつの悟りか)、雑念を受け入れてしまえばよい、眠れぬ夜の妄想も消し去るのではなく、素直に受け入れ、客観的に、あるいは主観的に向き合えばいい、さらにはそれを楽しんだり、悔いたりするということでいいのではないかと勝手に思ったりもしております。邪道でしょうが・・・・。

投稿: 放心 | 2013.02.12 16:46

私には無理と最初からあきらめています。
まずずっと心の中にひっかかっていて、いつの日かやってみたいという気が起きないとだめですね。

投稿: kei | 2013.02.13 05:37

★放心さん、
想念と客観的に向き合うというのは難しい。
知らない間に想念に流されてしまいますから、
なかなか「いま、ここに」居ることができない。
想念は受け流して、からだの感覚や呼吸をただ
観察していこうというのがヴィパッサナーです。
喜怒哀楽は人の世のつね。落語ですね。
それはいいのですが、意外に執着が原因のもの
も多い。そいうい心のくせがついているから。
そのくせを少しずつはずしてゆくのです。
一日10分でもしずかに呼吸を観察する習慣を
つけると、永井先生のような体験をすることが
あると思います。

投稿: ripple | 2013.02.14 09:33

★keiさん、
keiさんにしては、消極的ですね。
縁がないのでしょうか。
一日10分でもいいから、目を閉じて自分の
呼吸は自分のからだの感覚を観察してみると
いいのですが。からだの一部、たとえば、
肺や心臓や手術した部分と対話するという
かたちでもいいでしょう。(^-^)

投稿: ripple | 2013.02.14 09:38

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