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2013.01.23

ヴィパッサナー瞑想法

いにしへは             一遍上人
心のままに
したがいぬ 
今は心よ
我にしたがえ

鎌倉時代に時宗を開いた一遍上人の歌。「昔は心に振り回されていたが、今は心を制御できるようになった」、というような意味だろう。子供は好き嫌いがはげしい。欲しいものがあると、なんでもかんでもそれを欲しがる。嫌なものがあると、泣きわめいて受けつけない。渇望と嫌悪の感情に振り回されてしまうのだ。大人になると経験と理性がはたらき、ある程度、感情をコントロールすることができるようになる。

大人になっても渇望と嫌悪の感情は生まれる。好きなものにおぼれ、酒や博打、あるいは女で身をつぶすこともある。思い通りに行かなくて腹が立つこともある。顔には出さないが心の中はイライラしている、なんてことは少なくない。みんなけっこう苦しんでいるのだ。

ヴィパッサナー瞑想法は、呼吸とからだの感覚を観察する瞑想である。渇望が生じたとき、あるいは嫌悪が生じたとき、呼吸が乱れ、からだの感覚に微妙な変化が起こる。その感覚に気づき、反応しないでやり過ごそうというのである。

すてきな異性を見ると、勝手に胸がときめいたり、上気したりする。そんなとき、呼吸や脈拍が速くなる。また、気に入らない人と出くわしても勝手にからだがこわばり、呼吸と脈拍が乱れる。その場から逃げ出そうとしたりする。ヴィパッサナー瞑想は、そうした呼吸と感覚の微細な変化を察知し、それに反応しないで平静さを保つ訓練をするのである。

心は勝手気ままで、手に負えない。とつぜん、あらぬことを思いつく。呼吸と感覚を見つめるためには、そうとう集中力を高めなければならない。だが、こつこつ瞑想を続けていると、やがてちょっとやそっとのことでは動じない心をつくることができる。難題にぶつかっても、うまく対処できるようになる。心が乱れると冷静な判断ができないので事はややこしくなるが、心が平静であれば最善の判断が下せるので事がスムーズに運ぶ。根気よく修行することが肝心である。


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コメント

自分自身のことを考えると、ゆとりの時間を持つことが
必要といつも思います。
そのゆとりの時間に自分をみつめる。
でもゆとりの時間ってぽこっとそこにあるのでなく
自分で作るんですよね。
私はゆとりの時間を作りたいと言いながら現実逃避
しているか、あれこれやりたいという欲望にのみ
振り回されているか。

投稿: kei | 2013.01.24 10:03

★keiさん、
五行歌を書くことも瞑想に少し似ていますね。
喜怒哀楽に呑まれず、客観的に自分を見つめる
からです。ただし、欲望は苦しみのもとだから
ほどほどが肝心ですね。

投稿: ripple | 2013.01.24 14:25

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