« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »

2012.02.29

積雪5センチ

Yuki06
生田浄水場沿いの道

2月29日、天気予報の通り、朝起きると雪だった。 昼過ぎまで降り続いて、5㎝ぐらい積もったのではないだろうか。裏の篠竹が雪の重みで深くお辞儀をしている。駐車場のまわりは出入り口の雪かきをした。ちょっとやっただけで腰に来る。雪国の人はこの何十倍も大変な思いをしているのだ。湿り気の多い雪で、車道に降った雪は車のタイヤで融かされてゆく。ニュースでは、けっこう事故やけが人が出ているらしい。

Yuki07
雪の重みでたわむ赤松

Yuki01
満開の紅梅も凍えている

Yuki04
金柑もこの通り

民家園に写真を撮りに行こうと思ったが、チェーンを巻くのも大変だし、事故でも起こしたらまずいと思い、炬燵に入って録画しておいた映画『にあんちゃん』を見た。九州の炭鉱にくらす貧乏な4人兄弟の物語だが、その貧乏の度合いがひどくて辛かった。今村昌平監督はこのころすでに社会の底辺に生きる弱者に目を向けていたのだ。つぎに見たのが『イヴォンヌの香り』だ。こちらは打って変わってフランスの官能映画だ。『髪結いの亭主』と同じ監督の作品で、ほとんど現実感がない。まったく対照的な映画を2本見て、頭がこんがらかってしまった。

春の雪は
ずっしり重く
あちこちから
木々の悲鳴が
聞こえてくる

| コメント (2)

2012.02.28

稲荷講(三の午)

きのうは稲荷講(いなりこう)の集まりがあり、うちは当番に当たっていたので、午後は治療室を休んだ。稲荷講は毎年初午(はつうま)の日の行うことになっている。ことしの初午は2月3日だったが、立春のあとの午の日ということなので2月15日になる。ところが、この日が丙午(ひのえうま)ときた。丙午は火事が起きやすいとかいって縁起がわるいので、つぎの三の午の日に稲荷講を開くことになったのだ。ネットで調べると、2月に入って最初の午の日が初午だから、2月3日にお祭りを開くところが多いようだ。近くの宿河原では二の午である2月15日にやったという。うちのほうは、丁寧といえば丁寧だ。

Inari_2午前中、お稲荷様を祀っている家を訪問し、お神酒をお供えしてまわった。それから会館を掃除し、机を並べ、「いなげや」に買い物に行った。刺身や天ぷらは別に注文してある。講中は34人だが、1000円会費なので、予算の範囲内で買い物をするのは工夫がいる。片づけがらくになるように、紙コップ、紙皿、割りばしなどもそろえた。2時が稲荷講の開始時間である。ところが、どうしたことか料理が来ない。開会すこし前に催促の電話をすると、様子がおかしい。すっかり忘れているのだ。「30分、時間をください」と、平謝りだ。

定刻の午後2時に稲荷講を始める。わたしが一言あいさつをし、会計報告をする。それから来年度の初午の当番をクジで選ぶ。それから、榛名講の当番もクジで選ぶ。このくじ引きをゆっくりやったので、ちょうど宴会に入るときに刺身が届いた。「いま天ぷらを揚げていますので、もう少しお待ちください」と仕出し屋さん。お詫びにと、酢の物などをくれた。やがて、天ぷらと煮物が届いた。みんなは何事もなかったように楽しくおしゃべりをしている。ま、長いことやっていれば、こんなこともあるものだ。

ひとつには、ヴィパッサナー瞑想をやっているので、あわてなくてすんだのだと思う。何が起きても、心の平静さをある程度保つことができるようになっている。

コップに半分の水が入っているとき、楽天家は「まだ半分ある」と思い、心配性は「もう半分しかない」と思う。そんなたとえ話をすることがある。悲観的に生きるより楽天的に生きたほうが得だというわけだ。ヴィパッサナー瞑想者はこれをどう見るかというと、「コップに水が半分はいっている」と、その事実を淡々と受け入れるのである。「まだ」でもなく、「もう」でもない。事実を事実として見つめるのである。それが心を平静にしてものを見るということなのだ。

榛名講のクジでは、わたしも当たった。他の2人といっしょに来月、榛名山へ代参に行くことになった。神様詣りだ。ありがたいことである。

| コメント (4)

梅の花

Dsc_7137

Dsc_7165

梅の花
ひとつひとつが
精一杯生きて
梅の木があり
宇宙がある

| コメント (0)

2012.02.27

シロハラ

Dsc_2168
シロハラ

正面から
鳥の顔を見ると
じつに思慮深そう
こっちの心を
読んでいるみたい

| コメント (2)

2012.02.26

ひな飾り

P1170873
雛かざり、日本民家園・原家

むかしの家は
大きく広く
ものが少ないので
七段飾りぐらいが
ちょうどいい

P1170881
日本の古民家

谷崎の「陰翳礼讃」
にあるように
日本の古民家は
光の扱いが
ひとつの芸術である

| コメント (5)

フキノトウ

Dsc_1821
蕗の薹

Dsc_7143

和え物
天ぷら
お吸い物
蕗の薹は
いまが旬

| コメント (5)

2012.02.25

ドライビング・ミスデイジー

録画しておいた映画「ドライビング・ミスデイジー」を見た。成功したユダヤ人のおばあちゃんデイジーは苦労したぶん頑固者である。あるとき車を池に突っ込んだので、息子が黒人の運転手を雇うことにした。その黒人はおだやかな性格だが、いろいろぶつかる。やがて少しずつ打ち解けてゆく。まだ人種差別が色濃く残る時代のほろ苦い物語である。この映画を見るのは二度目だが、こんなに味のある映画だとは思わなかった。

デイジー役のジェシカ・タンディーは映画製作時の実年齢もそうとうなものだろう。「ストレイトストーリー」のときもそうだったが、アメリカ映画では、老人にはれっきとした老人を使う。そこがすごい。運転手役のモーガン・フリーマンがまたいい。楽天的ななかに繊細な情がそこここに見られる。難しい時代を生き抜く知恵を心得ている。

タイトルのドライビングはdrivingだが、「デイジーさんを乗せる」という意味だけではなく、「デイジーさんを手なずける」という意味もある。じゃじゃ馬ならしのようなものだ。ラストシーンには泣ける。

二時間ほど
アメリカ南部の
旅をしてきた
時代は1960年代
映画はいいね

| コメント (6)

いろり

P1170880
囲炉裏@日本民家園

冬は
囲炉裏を
中心にして
時が
流れた

| コメント (0)

2012.02.24

キロロキロロ

Dsc_2086
カワラヒワ

すこし暖かいので自転車で来たら、頭のてっぺんでキロロキロロときれいな鳴き声が聞こえた。これはカワラヒワだなと思って、声のするほうを見ると、電線に一羽とまっていた。しきりに毛づくろいをしている。多摩川の河原などでは10羽から20羽の群れをなしていることが多いが、人家のまわりでは単独行動をしているのをよく見る。薄ピンクのくちばしと黒と黄色のコントラストの強い羽が特長だ。わたしはこのカワラヒワの鳴き声が好きである。なにか宝石を転がすような澄んだ音がいい。

Dsc_2053
せわしなく毛づくろいをしている

Dsc_2129

キロロキロキロ
キロキロロ
顔に似合わず
優しい声だね
カワラヒワくん

| コメント (8)

十中八九

嫌な奴だな
そう思ったら
十中八九
向こうも
そう思っている

| コメント (0)

2012.02.23

讃岐うどん「宗」

Muneお弁当がなかったので、お昼は多摩区役所のそばの讃岐うどん「宗」で食べた。宗はムネ。店は満員で、2人が椅子に座って待っていた。かけうどんと舞茸の天ぷらを注文した。ここは小さい店ながらも、手打ちの讃岐うどんが食べられる。うどんは打ち立ての茹でたて、天ぷらも注文を聞いてから揚げてくれるのでアツアツだ。常連はかけうどんだけですましている人も少なくない。

小田急・向丘遊園駅の北口駅舎はたしか昭和初期からのものだ。北海道の牧場で見るような腰折れ型の屋根がやさしい。真っ白に塗ってしまったのが、やや興ざめではある。駅舎の右側はたしか小田急トラベルの事務所だったはずだが、いつのまにやら1000円床屋になっている。10分1000円という幟が風に揺れていた。うちの治療室のとなりの床屋さんは、15分1300円だ。時間にすれば後者のほうが割安だが、前者のほうが1000円ですむから、明大生などは嬉しいだろう。そう、向丘遊園駅周辺は学生街でもある。

P1170869
小田急・向ヶ丘遊園駅北口駅舎

P1170867
デフレの象徴、1000円床屋

むかしは
自分の家で
髪を切ってもらったが
それで
じゅうぶんだった

| コメント (9)

和のよそおい

Wa水曜日は定休日。午後、広尾の山種美術館に行く。「和のよそおい」というタイトルの催し物が開かれていた。上村松園、鏑木清方、伊東深水らが描いた美人画などが展示されていた。鈴木春信、小倉遊亀、奥村土牛などの作品もある。上村松園の一連の美人画は圧巻である。その品のよさは女性ならではのものかもしれない。伊東深水のモデルはどれもなんとなく実娘の朝丘雪路をほうふつさせる。鏑木清方は抑制の効いた画風がいい。伊勢物語の巻物は、優雅なかな文字に繊細な挿絵が添えられていた。舞妓や貴族の婦人など、わたしには縁のない世界だが、美しいものは美しいと認めないわけにはいかない。

画家は
生身の女性を
昇華させて
美の極致に
あそぶ

Botanyuki
上村松園「牡丹雪」

| コメント (4)

2012.02.22

ジョウビタキ♂

Dsc_1858

ジョウビタキのオスを見た、と妻がいうので、その場所に行ってみた。そうしたら、さっそく黒紋付を着たおしゃれな鳥が姿を現した。例によって、尻尾を小刻みに振っては愛嬌をふりまいている。どうやら、その辺を縄張りにしているらしい。去年の暮れに箱根で見て以来である。数年前は、ジョウビタキが来るとあちこちからヒッヒッというい鳴き声が聞こえたものだが、最近はずいぶん少なくなってしまった。

Dsc_1878

頭は銀色だが、顔面が真っ黒なのでどこに目があるのかわからない。うまいこと目に光が入ってくれないといい写真にはならないが、短い時間だったので仕方がない。また別の日にじっくり挑戦してみよう。

Dsc_1901

Dsc_1921

こちらを向いた顔がゆかいである。
あんた、なに見てるの? とでもいいたそうだ。

ちなみにメスのジョウビタキはうちの近くに出没している。メスはオスほどおしゃれではないが、目が可愛い。いい写真が撮れるといいのだが。

| コメント (6)

2012.02.21

冬の枡形山

P1170839
枡形山の頂上、展望台

昼休み、枡形山に登ってきた。暖かい日で、上まで登ると汗ばんだ。木の葉がないので日差しが地面までよく届く。冬のあいだに、下草が刈られ、階段や遊歩道が整備されていた。通行人が少ないのと、木の葉がないので仕事がしやすいこともあろう。野鳥はさっぱりだった。エナガの群れがいたが、距離が遠いので写真は撮れなかった。あまり人を恐れないコゲラがコツコツ木を叩いて虫を採っていた。

P1170845
冬の木々

P1170840 

P1170849

Dsc_1840
コゲラ、弱った木に巣食う虫を探している

| コメント (2)

「空腹が人を健康にする」

けさの新聞に大きな広告が載っていた。「空腹」が人を健康にする、というタイトルだ。例によってサンマーク出版の本はタイトルが具体的で、買い手の興味をそそる。著者は南雲吉則さん。なんとかの主治医、などという番組によく顔を出していたが、たしか乳がんのスペシャリストだ。この先生は自分の主義主張を実践しているところがえらい。車も乗らないし、玄米菜食、一日一食など、メタボの多い医者とは一線を画している。

Nagumoわたしは以前、明石陽一さんの「小食のすすめ」という本を読んで、えらく感動したことがある。からだは少し飢餓状態にしておくと命の危険を感じ、全力で生命維持活動をにいそしむ。いつも満腹では、そういう機能がなまけてしまう。だから少食が健康の秘訣だ、といった内容だった。ことわざでも「健康は腹8分目」というではないか。

うちの治療室にみえる患者さんも、その多くが①食べ過ぎ、②運動不足である。栄養価の高いものをたくさん食べて病気になるのだから、もったいないといえばもったいない。たくさん食べて運動をしないのだから、メタボになるし、いろんな成人病になりやすくなる。生活態度が病気をつくっているともいえる。この本の小見出しが載っていたので、抜粋しよう。

・ 食べ過ぎこそ病気の始まり
・ 水を飲んでも太るワケ
・ 細胞を修復してくれる「サーチュイン遺伝子」
・ 寒いとなぜ体がガタガタふるえるのか
・ メタボが寿命を縮める本当の理由
・ 「一日一食」でなぜ栄養不足にならないのか?
・ 食事の量を減らすカンタンな方法
・ 空腹時にお茶やコーヒーを飲んではいけない
・ ごはんを食べたら、すぐ寝よう
・ 若返りのための「ゴールデン・タイム」
・ 体の温め過ぎは「冷え性」のもと
・ 自分の「内なる声」にしたがって生きる
・ あなたの人生、このまま終わってもいいですか? etc.

人類の歴史は
飢餓の歴史
満腹になったのは
つい最近で
からだは慣れていない

| コメント (13)

2012.02.20

ヴィパッサナーの瞑想

Meditator4毎朝1時間、ヴィパッサナー瞑想をしている。ま、坐禅といってもいいが、それほど堅苦しいものではない。夏は4時半ごろに起きていたが、最近は5時から6時ごろになってしまう。寒いのでエアコンを入れるが節電もしたいところだから。瞑想はもう何年もやっていて習慣になっているから、坐らないと一日がなにか抜けたような感じになる。座らないではいられないのである。

タイマーをセットし、7センチほどの厚さのミニ座布団を敷き、軽くあぐらをかいて坐る。毛布を肩から掛けて、電気を消して、目を閉じる。からだの中心線を見てまっすぐになっているかを確かめる。それから呼吸に意識をおく。いわゆるアナパナ瞑想を始める。

アナパナ
自分の吐く息、吸う息を観察する。吐く息は温かく、やや湿っており、鼻の孔のすぐ下あたりに当たる。吸う息は冷たく、鼻の奥の方に当たる感じがする。鼻の孔の下の皮膚のところに意識をおいていると、くすぐったい感じや、むずむずした感じがする。細い毛がなびくような感覚があったり、毛細血管のかすかな拍動を感じたりする。雑念がわかなければ、いろんな感覚が観察できる。雑念がわいたら意識的に強めの呼吸をする。これは短時間でも、またどんなところでも手軽にできる瞑想である。

ヴィパッサナー
呼吸が落ち着いてきたら、ヴィパッサナー瞑想にすすむ。ヴィパッサナーとは「あるがままを観察する」という意味である。全身の感覚を見ていくのである。まず頭のてっぺんに意識をおく。ここは感覚が鈍い。頭のてっぺんにヒモをつけて上に持ち上げるようにして背筋を伸ばすと、その場所がよく意識できる。むずむずしたり、痒かったりすることもある。10円玉ぐらいの大きさで意識をおき、それを頭の前後左右にも移動してゆく。うまくいかないときは、頭に毛糸の帽子をかぶったようなつもりで、頭ぜんたいの感覚を感じ取ることもある。それからおでこ、眉毛、目玉などを感じ取っていく。左右同時に見ることもあれば、ひとつずつ見ていくこともある。さらに耳、鼻、頬、口と見ていく。首から上が終わると、そこが少し温かくなる。

肩や腕、肘、手のひらなども順々にどんな感じがあるか見てゆく。うまいこと感覚が感じられるときは、左右同時に見る。胸や腹、背中や腰も、同様に見てゆく。雑念が多いときは順番もめちゃくちゃになり、どこを感じ取っているかわからなくなるが、そんなときはからだ全体を感じ取ってもいい。お尻や足も一通り感覚をみてゆく。毎日やっているから、ぜんぶできなかったときは、翌日その続きをやったりすることもあるが、だいたいなんとか全身を観察する。不完全ながら、こうやって「今に居つづける」訓練をすると、心が落ち着く。いらいらすることが少なくなり、体調もいい。

ヴィパッサナー瞑想は、きちんとした指導者について教わるのがいい。できれば京都か千葉で10日間コースをとるのが望ましい。深いヴィパッサナー瞑想に入ると予期せぬことが起こることがあるからだ。

→日本ヴィパッサナー教会

宇宙を動かし
細胞を生かしている
大いなる力に
つながると
不安がなくなる

| コメント (2)

梅の花

Dsc_1815
わが家の早咲き紅梅

寒さで
梅の開花が
遅れている
抜け駆けした花が
ちょっと誇らしげ

| コメント (0)

2012.02.19

万両の実

P1170748
万両の実、千両は上に咲くが万両は重いので(?)下に咲く

千両の実は
よく目立ち
鳥に喰われる
万両の実は
落ち着いている

| コメント (2)

誰がために鐘はなる

Bell1録画しておいた映画「誰がために鐘は鳴る」を見た。ワールドプレミア版とかで、過去のものより20分ぐらい長いという。ヘミングウェイの長編小説を映画化したもので、ゲイリー・クーパーとイングリッド・バーグマンが主演だ。1943年の作品というからかなり古い。私もまだ生まれていない。しかも総天然色だから、アメリカという国はすごい。そんな国に戦争をしかけたのだから、日本は常軌を逸していたというほかない。

イギリス人青年がスペインの民衆に共感してフランコのファシズム政権と闘うという筋書きだ。戦争という極限に生きる人々の姿が真に迫る。みんな命がけで生きている。自分は命がけで何かをしたことがあるだろうか、と思わず自問してしまう。

映画の原題はFor Whom the Bell Tolls だが、わたしはずっと
For Whom the Bell Rings だと思っていた。toll のほうが重い響きがある。

戦争は嫌だが
人間の極限の
生き方が出る
いのちについて
考えさせられる

| コメント (0)

2012.02.18

また新しい店

P1170834

向丘遊園駅南口に行ったら、トヨタレンタカーへ抜ける道にビルができており、一階がファミリーマート、二階がガスとになっていた。すでに営業している。たった2、3か月の間に景色が一変している。どちらもセントラルキッチンで作られたものを配送して販売するのだから、味はあまり期待できないが、安いのだろうか、こういう店ばかり増えるのは。以前、ガスとで一口餃子みたいなのを頼んだことがあるが、中まで火が通っておらず、よくこんなものを売って商売ができるもんだと思った。客の味覚も落ちてきているのだろうか。

量産
マニュアル化
味の均一化
没個性の
時代である

| コメント (2)

寒いけれど日差しはつよい

P1170835

ゆうべ
降った淡雪が
朝日に
なだめられて
融けてゆく

| コメント (2)

千日回峰行2回満行

P1170827
酒井雄哉和尚(85歳)

日曜日の「こころの時代」は、比叡山の酒井和尚が「人生、これ修行」と題して、いろんな話をしていた。酒井和尚は、命がけの荒行として知られる比叡山の千日回峰行を2度満行している。史上3人目だそうだ。

千日回峰行は何度かドキュメンタリー番組で放映されたことがあり、はじめてそれを見たとき、私は度肝を抜かれた。夜中に30kmほど山の中を歩き、いろんなお堂にお経をあげて回るのだ。山だから下り坂はほとんど駆けおりる。その後も堂入りという断食、不眠不休でお経をあげながら歩き続けるなどの苦行を行う。死者も出ることがある荒行である。

千日回峰行を2度満行した後は、世界を“回峰”している。中国の五台山や慈覚大師の旧跡、バチカンやアッシジにまで足跡は及ぶ。仏門に入ったのは40歳。波乱の人生をたどったすえ、「山を歩かせてもらって仏様の知恵を学ばせてもらった。一日一生。生きていること自体が修行」と語る酒井さん。あたたかい大きなオーラを感じる。

千日回峰行を
二度満行した
酒井和尚は
こだわりを持たぬ
人である

| コメント (6)

2012.02.17

小田急ロマンスカー

P1170829

昼休みに氏神様に行った。小田急線沿いに専修大学のほうに向かって歩いていると、ロマンスカーがやってきた。色の感じからすると最も古い3000型ではないだろうか。昔はピーン・ポロローンと独特の警笛を鳴らしていたが、最近は静かに走っている。騒音問題でも指摘されたのだろうか。小学校の頃から知っているロマンスカーの色なので懐かしい。ということは半世紀以上も走っているのか。

Daisha
連結ぶに台車がある

車両が短いのは連結部に台車を置くというユニークな構造だからだ。そんなことを知って、子供ながらに誇らしく思ったものだ。古いロマンスカーはこの春、運転を終了するらしく、中吊りだかに「ラストラン」の広告が出ていた。日本のローカル線や外国にでも持っていかれてまだ走り続けるのだろうか。

| コメント (2)

澁谷実監督「本日休診」

P1170825

井伏鱒二作「本日休診」の映画をBSで見た。昭和27年、澁谷実監督。先日録画しておいたものである。井伏鱒二の「山椒魚」は短編なので読んだが、こちらはまだ読んでいなかった。人情医者の物語で、いろんな階層の人が入れ替わり立ち代り現れてにぎやかだった。はじめの部分のあらすじと配役を載せておこう。

戦争で1人息子を失った三雲先生は甥の伍助を院長に迎え、戦後再出発した。丸一年の記念日、伍助は看護婦の瀧さんたちと温泉へ出かけて行き、三雲医院は「本日休診」。三雲先生は昼寝でもしようと思っていた矢先、婆やの息子勇作が例の発作を起こしたという。勇作は永い軍隊生活の悪夢にまだ折々なやまされ、三雲先生はそのたびに部隊長となって号令、部下の気を鎮めてやらなければならなかった。つぎに警官が大阪から知り合いを頼って上京したばかりで昨夜おそく暴漢におそわれたあげく持物さえうばわれた悠子という娘をつれて来た。

キャスト
柳永二郎 、佐田啓二、鶴田浩二 、淡島千景、十朱久雄、長岡輝子、
三國連太郎 、岸惠子、多々良純など

Honjitu1
勇作が指揮をとり、少年飛行隊(雁の群)を見送る

その昔
医は仁術だった
いま
そんな病院
どこにある

| コメント (2)

2012.02.15

しんゆり五行歌会(2月)

湯船の中に            神川(1席)
ひっそりと脱ぐ
今日の
疲れの
重い一枚

待ち人 来たる          島田(2席)
理由(わけ)あって
七年ぶりの再会に
改札口の前で
密かに深呼吸

大きすぎる            とし子(3席)
フード付きコート
すっぽりかぶった
ヤドカリになって
幼子は雪の中

前立腺がんの           ripple
手術をした友が
あっちのほうは
もうラフランスだよ         
と悲しく笑う
            ラフランス:洋梨

神川さんは歌のコツを知り尽くしている。いつもながら、その技量には畏れ入る。島田さんの歌は、改札口で密かに深呼吸、が目に浮かぶ。わけありの再開にこちらまで緊張感が走る。とし子さんの歌は、実景でなく空想の場面を歌ったというからすごい。フード付きコートをかぶった幼子をヤドカリとみた時点で、この歌は成功している。わたしの歌は切羽詰ってつくった作品で、およびでなかった。

| コメント (7)

2012.02.14

紅梅咲く

P1170776

P1170784

わが家の
紅梅が
咲き始めた
遅れたぶん
うれしい

| コメント (4)

2012.02.13

あたたかな光

稲荷様に
手を合わせていると
背中に朝日が当たって
ぽかぽかぽかぽか
こころも温まる

| コメント (2)

足踏み式車椅子

Kickwheel

録画しておいた番組に「足踏み式車椅子」というのがあった。足が使えないから車椅子に乗るのだろうに、どうして足が踏めるのだ、と思う。でも両足が使えないなら仕方がないが、脳卒中などの後遺症では半身マヒになる場合が多い。その場合片方の手足は使えるのである。その使える手足を生かして、移動に足踏み式車椅子を使ってもらおうというのだ。東北大学や病院やコーディネータなどが協力してこれを開発した。

この足踏み車椅子でリハビリをすると、今まで立てなかった患者が立てるようになる。少しずつ歩けるようになるなど、目を見張る効果が現れた。患者さんが行きたいところに行けるようになるので、もう目の輝きがちがう。

はじめは80㎏ほどの重さがあったが、材料は構造をシンプルにしてどんどん軽量化してゆく。一方向にしか方向変換できなかったものが、自動車のディファレンシァルギアを組み込んで、これを左右自在に方向変換できるようにした。軽量化t乗り心地をよくして、価格も下げる努力をしている。こういう仕事をしている人を見ていると、こちらも胸が熱くなる。最後に患者さんがパイロンのあいだをスラロームして通りすぎるのを見て、テレビに向かって拍手をしてしまった。

行き詰っても
どこかに
工夫の余地がある
あきらめないで
前に進もう

| コメント (15)

2012.02.12

オムロン吸入器

P1170772

乾燥していることもあって、気管の奥から咳が出る。これがけっこう苦しい。そこで2、3日前から吸入をしている。水蒸気の大きさが細かくなり、喉の奥まで浸透するという。だいぶ前に買ったものだが元気に働いてくれる。ただ組み立てるのにやたらパーツが多いのが難点だ。はじめに口から息を吸ったらとたんにむせて咳き込んでしまった。その後、鼻から息をすればむせないことがわかった。吸入をすると呼吸がらくになる。

以前のスカイナーの吸入器はシンプルで使い勝手がよかったが、取次店がなくなってしまったので、フィルターなど大切な部品が入らない。もっとシンプルなのもあるはずだ。昔はアルコールランプで水を沸騰させ、その蒸気を霧状にして吸うだけのものもあった。いいものは複雑になる。いや、いいものこそシンプルにやってもらいた。

| コメント (0)

言葉はウソが多い

言葉は
ウソが多い
ならば
素敵な
ウソをつこう

| コメント (0)

2012.02.11

第六天神感謝祭

Dai6

建国記念日は毎年、うち祀りしている第六天神の感謝さいをしている。今回は参加者が10人と少なかったが、おだやかな天気に恵まれて順調に式典を終えることができた。わたしは風邪気味だったので式服に着替えず洋服のまま失礼させてもらった。玉串奉献のさい、東日本大震災の犠牲になった人たちのためにお祈りをした。そう、あと一か月で3.11だ。お祭りのあとは香華飯店で直会(なおらい)、わたしの幼馴染も来てくれたので昔話に花が咲いた。

| コメント (2)

2012.02.10

佐川急便のリヤカー

Sagawa
佐川急便のリヤカ便

昼休み、買い物に出かけたときサガワのリヤカ便を見つけた。クロネコと同じように電動アシスト自転車が牽引する。クロネコのほうが洗練されているが、駐車違反がきびしくなったので、宅配業者はみなリヤカーを取り入れている。まだ日本郵便のリヤカーは見たことがないが、どこかで走っているかもしれない。

Yamato
ヤマト運輸のリヤカ便

| コメント (7)

ニャーオ

ニャーオ
ナーゴ
猫のさかりに
うろたえる
愚かな私

| コメント (3)

登戸神社の彫り物

Ryuu_2

関心を
寄せるだけで
思いもよらぬ
感動を
得ることがある

| コメント (4)

2012.02.09

ツグミ

Tsugumi1
柿の枝にとまるツグミ

ことし初めてのツグミの写真である。年が明けてから何度か会っており、姿を見なくても鳴き声を聞くことが多いが、うちの柿の木に来たので近くから撮れた。しかし曇天なのでどうしても光が弱い。地面に下りたりしていたが、背景が複雑でいい写真にならない。もう一度天気のよい日に撮ってみよう。

Tsugumi2
胸の豹紋が凛々しい

正面に向くとあどけない雰囲気がするから若鳥かもしれない。ツグミはシベリアあたりから数百羽の群れで渡ってくるが、日本に来ると単独行動に出る。けっこう縄張り争いなどもしている。むかしはカスミ網で捕獲され、よく食べたらしい。

背筋が通って
姿勢のいい
ツグミが好きだ
鳥見を始める
きっかけをくれた

| コメント (5)

2012.02.08

CAFE「柿ん木」

P1170759
「CAFE柿ん木」の店内、思いのほか広い。

火曜日の午後、患者さんに教わった店、CAFE「柿ん木」にお昼を食べに行った。東高根森林公園の正門の少し神木(しぼく)寄りの脇道の奥にある。4台ぐらい駐車スペースがあるのがいい。店内は広く、夜になるとバーになるらしい。そんなメニューもある。ランチメニューは、ごはんがカレーかドリアン、あとはスパゲティー、サンドイッチなど。いわゆるごはん食がないのがもの足りない。わたしはカレーを京子はサンドイッチのランチを頼んだ。 どちらもコーヒーか紅茶とセットで1000円ぐらいだ。

P1170763
カレーセット(withジャンボサラダ)

P1170764
サンドイッチ風ランチ(withビッグサラダ)

カレーはスパイシーでフルーティー。野菜の素揚げなどもついて美味しい。驚いたのはサラダの量だ。アメリカの食堂で出てくるようなジャンボサイズに度肝を抜かれた。サラダだけでも腹いっぱいになりそうだ。こんにゃくと野菜の煮物がついているのが面白い。サンドイッチ風ランチもフォカッチャみたいなパンの中にハムとチーズが挟んであって、それをトーストしてある。こちらは若干塩分がつよい。しかしいい味だ。広くてくつろげるので、たまに来て食べるにはいい店だ。休みは第1と第3水曜日。もう腹いっぱいだ。

| コメント (3)

2012.02.07

おしめり

久々の
お湿りが
うれしい
心まで
うるおう

野菜の高値、インフルエンザの流行、火事など、
これですこしは落ち着くでしょう。(^-^)

| コメント (4)

50000型ロマンスカー

P1170749
向丘遊園駅を通過するロマンスカー50000型

P1170750
スーッとほとんど音もなく走り去りました

小田急ロマンスカー
50000型は最新鋭
乗り心地はいいし
座席はひろい
デザインも最高だね

| コメント (6)

2012.02.06

白花の祭壇

Sougi
神社風の祭壇でなく白花で飾った清潔な祭壇

日曜日、夕方は中野のお寺で行われたお通夜に出た。最近は花で飾りつける祭壇が多いが、ここもそうだった。ふつうはカトレアや色バラで飾るが、こちらでは徹底して白花に統一している。胡蝶蘭、白バラ、白菊、白トルコキキョウ、ストック、カスミソウなどでまとめられている。白い花の祭壇は清潔で清々しい。なんとなく背筋を伸ばしたくなる。真言宗の僧侶がていねいに読経をあげていた。仏式だが教会の葬儀のようにもみえる。寒かったが、数日前よりは気温が上がっている。いいお通夜だった。

故人は自由人
特定の宗教に
属することもなく
どこまでも
自然人だった

| コメント (2)

2012.02.05

鯉も寒かろう

P1170743
寿福寺の池の奥にある滝口が凍っている。

P1170746 
鯉は池の底に固まって寒に耐えている。

日曜日は、お昼に法事があり、夕方はお通夜に行った。お昼の法事は寿福寺で行われた。寿福寺はいま山門の建て替え工事中である。門を入った左側に池があるが、その奥の滝口が凍りついている。東京都桧原村の払沢(ほっさわ)の滝も、茨木の袋田の滝も久しぶりに凍りついたという。それだけ今年は気温が低いわけだ。先日降った雪も日陰ではまだちゃんと残っている。池の錦鯉たちも池の底の溜り場に入ってじっとしている。こんなのは初めて見た。

本堂での法要もけっこう寒かった。もともとお寺は天井も高いし、空間が広いから寒いところではある。この日は寿福寺での法事が三つもあり、住職はいっしょに食事をすることもなかった。お忙しそうである。

寺の池が凍り
鯉が底に集まって
寒に耐えている
墓地からは
紫の煙が上がる

| コメント (3)

今夜も鍋

Tonyunabe
豆乳鍋

寒い夜は鍋がいい
寄せ鍋にカキ鍋
常夜鍋にキムチ鍋
石狩鍋に豆乳鍋
ときたもんだ

| コメント (10)

2012.02.04

ミモザはまだだ

Mimoza
ミモザのつぼみ

どこかのブログでミモザの花が載っていた。この寒い中もう咲いたのかと思って、大きなミモザの木のあるところに行ってみた。そうしたらまだ小さな蕾だった。あと10日ぐらいだろか。写真のミモザの花は温室育ちだったのかもしれない。そういえば、寒波のため大宰府の梅の花も咲きそうもないということだった。しかたないので、ミモザのつぼみの写真を載せておく。

| コメント (2)

氷点下

土のあるところが少なくなったせいで、朝の霜や霜柱に気が付かない人が多いようだ。うちは庭と畑があるが、けさなど歩くとバキッバキッと音がする。今日も氷点下の寒さだ。バケツにはしっかり氷が張っているし、この冬の寒さを肌で感じている。こんな中でもエンドウ豆やカキナはよくがんばっている。この寒さでも枯れるということがない。葉の糖度を増して凍結を防いでいるらしい。

P1170740
土も草も持ち上げる霜柱

Endo
寒さに耐えるエンドウの苗

水不足と寒波で
野菜が高いらしい
労働を考えると
まだまだ安いとも
思えるのだが

| コメント (2)

2012.02.03

いいことをすれば

いいことをすれば
気持ちがいい
だから
そうやって
生きてゆこう

if you do good
you feel good
and
that's the way
you go by

| コメント (2)

首長はクビチョウとも読む

首長と書いて
クビチョウと読む
とは知らなかった
年をとっても
知らないことばかり

妻が新聞の見出しを指さしながら、「首長という字はクビチョウと読むのよ」という。「そんなバカな、学校ではシュチョウと教わったよ」と私がせせら笑うと、「本当よ」と譲らない。あるとき、テレビのニュースを見てびっくり、なんとアナウンサーははっきりクビチョウと発音しているではないか。

広辞苑を引くと、首長はさすがにシュチョウの項目にあり、クビチョウには首帳しかない。首帳とは、戦いで相手の首を取った数を記入しておく帳簿、なんて物騒なことが書いてある。新明解国語辞典にもクビチョウの見出しはない。

いろいろネットで調べると、首長の本来の読み方はシュチョウで間違いない。クビチョウという読み方は、テレビ・ラジオなど音声で言葉を伝える場合に、聞き手が「主張」や「市長」と混同しないように、言葉を説明する意図で補足的に使うらしい。

一般に「首長」という言葉は都道府県知事と市町村長をさし、統一地方選挙の前後は特に使うことが多くなる。報道番組でクビチョウという読みをする場合は、シュチョウ選挙と言ったあとでクビチョウ選挙と補足するように、本来の音も示したうえで使うのが一般的だそうだ。

これは、市立をイチリツ、私立をワタクシリツ、と読む場合があるのと同じだ。「試案」であればココロミの案、「私案」であればワタクシの案と補足する。このような補足的な読み方は、一般のニュースでごく普通に行われている。日本語は同音異義語が多いから、ときにはこういう配慮をすることになるらしい。

| コメント (2)

2012.02.02

部分「こんまり」

一度、「こんまり」をしなければと思っていたが、家中のものを並べて整理するのは大変だから暖かくなってからやろうと考えていた。だが、きのうの夕方、とつぜん「部分こんまり」をやってみることにした。気温が暖かかったせいもあるかもしれない。

「こんまり」とは近藤麻理恵さんが提唱している整理整頓法である。衣服、本などの順に、自分のものに今でもトキメキがあるかないかを基準にして、ときめかないものを処分していく方法だ。「断捨離」とほぼ同じである。ダンシャリのほうはヨガの哲学的な見地にたって片づけをする意味を説いているらしいが、「こんまり」はトキメキが尺度なので簡単明瞭である。

Konmari

原則として「こんまり」では、まず家中の衣類を出して、それぞれが今でもトキメキを与えてくれるかどうかをみる。そして、ときめかないものは「捨てる」のだ。そうやって片づけていくと、ときめくものだけが残り、ときめきの部屋を、ときめきの家をつくることができるという。しかし、それはとんでもない大仕事になる。差し当たって部分「こんまり」からやってみようとしたのである。

タンスの抽斗(ひきだし)を抜いて、下着やTシャツなどを並べ、一つ一つトキメキがあるかどうかみてゆく。黄ばんだシャツ、よれよれになったTシャツ、ゴムの伸びたパンツなど、トキメキどころかほとんどゴミのようなものが入っている。まだ着られそうだが、ときめかないものでもどんどん捨てるほうに回す。着なくても捨てるのがもったいなくてとって置いたものがたくさんあるが、それらも思い切って捨てるほうに回す。あっという間に「捨てる」ものが山になった。

それら一枚一枚に「ありがとうございます」、「お世話になりました」と言って、ゴミ袋に入れていく。自分の衣類の四分の三ぐらいは捨てるほうに回ったのではないだろうか。大体がもったいなくて捨てられなかったもので、人さまに着てもらえるようなものではないから、捨てるものをゴミ袋に入れてもあまり罪悪感はない。ときめきがなくなってしまったから、悪いけれどサヨナラするね、といった感じだ。

これはまだ部分「こんまり」である。背広やコート、セーターなどはやっていないのでなんとも言えないが、そうとう捨てるものが出るだろう。なかには人さまに着ていただけるものもあるだろう。そういうのはリサイクルに回せばいい。タンス二竿の自分のものだけをやってみても45リットルのゴミ袋三個分になった。それほど無駄遣いをしてきたつもりはないが、けっこう不用なものがたまっているものである。

妻も自分のものを部分「こんまり」し始めた。これを何回か繰り返せば、家の中がきれいさっぱりするだろう。そのぶん、心もきれいさっぱりするような予感がある。

| コメント (4)

2012.02.01

映画「真実一路」

Sinnjitu1

録画しておいた「真実一路」を見た。山本雄三の原作だ。人間関係がややこしくて一度で理解しにくいが、大人はいろんな嘘をつきながら生きている。世間体だの、義理だの、常識だの、この世は意外に拘束が多い。そんな中、真実をつらぬいて生きる女性がいる。社会からは半端者あつかいだが、その生き方がどこか胸を打つ。いつの世も、ひとは本音と建て前の狭間で揺れ動くものなのだろう。これは永遠のテーマである。

   姉さんも気の毒な人だよ。
   みんなが言うようにふしだらな女じゃない、
   自分の本当の生き方をしたいともがいていたんだ。

いまは
できちゃった結婚
なんてざらだが
むかしは
とんでもないことだった

| コメント (2)

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »