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2010.11.15

与謝野光先生のこと

四谷の鍼灸学校は、わたしが入学したときは「東京高等鍼灸学校」という名前だった。それから専門学校制度がしかれ、卒業するときは「東京鍼灸柔整専門学校」になった。いまでは、たしか「東京医療専門学校」になり、鍼灸、柔道整復、あんまマッサージ指圧、および歯科衛生の部門を持っている。四谷の鍼灸学校の校長先生は、長いあいだ与謝野光氏がつとめていた。与謝野光は与謝野晶子と鉄幹の長男である。

わたしは縁あって1975年、この鍼灸学校の本科に入学した。校長は当時も与謝野光氏だった。衛生学の先生が休んだとき、ときどき与謝野光先生が来て講義をしてくれた。先生の講義は実体験にもとづいた話が多く、じつに面白かった。難しい話をやさしく説かれ、あまり興味がなかった衛生学が光り輝いた。

与謝野光先生は長身で白髪、上品な70代後半の紳士で、育ちの良さがうかがわれた。お顔はきのう載せた母晶子の写真にそっくりである。慶応大学医学部を卒業し、東京都衛生局局長などの要職を歴任されており、やはり独特のオーラに包まれていた。

卒業後、わたしは教員養成講習を受けたが、そのときも与謝野光先生の授業を聞いた。身を乗り出すようにして聴講したことを懐かしく思い出す。先生の話は実例が豊富で、とにかく面白い。知らぬ間にぐんぐん話に引き込まれてしまう。アメリカで昆虫学を勉強した話では、黒板に大きく蚊の絵を描いて見せた。関東でチフスが流行したときの処置対策なども生き生きと語られた。ツベルクリン反応の判定基準も先生たちが作られたそうだ。

あるとき与謝野先生は体調をくずされ、授業中トイレに行った。そのとき「ゆうべの会合で食べたものが当たったらしい。失礼して御不浄に行かせてもらいます」とおっしゃった。御不浄(ごふじょう)とは懐かしい。すっかり忘れていた言葉だが、厠(かわや)や便所とは違って、品がある。さすが与謝野先生だ。ある日、講義のあと、先生がハイヤーで帰られるとき、信号のところで私と目があった。先生は私に気づき軽く手を挙げて挨拶をしてくれた。優しい笑顔がいまでもこの目に焼き付いている。

光先生の
言動に触れて
その母
与謝野晶子を
偲ぶ

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コメント

与謝野光さんもお母さん譲りの努力家だったんですね。真の育ちの良さと言うのは単純な家系の問題ではないのでしょうね。

投稿: エノコロ | 2010.11.16 10:20

秋は
来し方行く末を思い
秋は
母が浮かんでくる
優しい陽射しとともに

投稿: 荒野人 | 2010.11.16 10:35

★エノコロさん、
光先生はずっと母と暮らしていたのですから、
その姿を間近で見ておられたことでしょう。
品の良さというのは一代や二代ではつくられ
ないのかもしれません。

★荒野人さん、
母は
根雪を溶かす大地
わたしを包む愛
母は
わたしのふるさと

投稿: ripple | 2010.11.16 10:51

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