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2009.06.29

月に隈なきを

昨夜、9時半頃の月の写真を撮った。梅雨の月は雲に隠れることが多い。しかし、雨の夜に月を想像したり、雲に見え隠れする月を見るのもまた乙である。こんなことを書くと、『徒然草』の「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」などという文章を思い出す。

Mooncloud_3

徒然草137段の最初の部分を引用してみよう。

花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊にかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。

現代語訳(私訳)

さくらの花は満開の時だけを、月は影のない満月だけを楽しめばいいというものだろうか。雨の夜、雲の向こうに浮かぶ月を恋しく思ったり、カーテンを閉め切って春の終わりを見届けることができなかったとしても、また、ほんわかと優しい気持ちになるものだ。蕾がこぼれ落ちそうなさくらの枝や、花びらが散り敷いた庭だって見所は多い。短歌の添え書きに「お花見に行ったのですが、すでに散っていまして」とか、「急用ができて花見に行けなくて」などと書いてあるからといって、「満開のさくらの下で詠みました」と書いてある歌に劣るといえるだろうか? 花が散り、月が欠けていくのを切ない気持ちで見つめるのは自然な感情だ。この気持ちを理解できない人が、「この枝も、あの枝も、さくらが散ってしまった。もう花見など出来ない」などと無粋なことを言う。

満月もいいが
半月も三日月も
味わいがある
雲間に覗く月なども
なお趣がある


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コメント

還暦を迎えられた先生は、益々厚みを増された様に感じます。歌を見て思いました。私も五行歌を紹介して頂き、今日も感謝しています。

投稿: 10月のマルコ | 2009.06.29 18:51

★10月のマルコさん、
お褒めをいただき恐縮です。
要するに、こちらの心しだいで、
感動の毎日を送ることができるのですね。

投稿: ripple | 2009.06.29 22:27

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