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2007.06.24

アリとセミ

録音しておいた文化講演会を聞いた。「群馬昆虫の森」園長の昆虫学者・矢島稔さんの「虫は自然の案内人」という話だった。これがとても面白かった。矢島さんは、よくラジオ子供電話相談などに出演している方だ。

矢島さんは小さい時から、とにかく虫を観察するのが好きだったそうだ。アゲハ蝶の幼虫や蚕、蜂、蝶などをつぶさに観察して記録した。唯一の参考書である「ファーブル昆虫記」を必死で読んだ。だが、文庫本で20冊もあり、難しくて苦労したという。

ファーブル昆虫記」の第一巻の翻訳は、なんとあの大杉栄だったそうだ。彼は獄中で殺され、第二巻以降は別の人が訳している。大杉栄は独学でフランス語を学んだという。偉い人だ。

ファーブルは実証主義者で、独学で昆虫記、植物記、動物記などを著している。貧しい数学の教師であったが、物理、化学、産児制限など、100冊以上の著書を残している。いわゆる、マルチ人間であったらしい。56歳のときに「昆虫記」の第一巻を書き始め、84歳で第十巻を書き終えたというのもすごい。92歳で亡くなった。

アリとキリギリス
Aritokirigirisuイソップの『アリとキリギリス』の寓話は、もとは『アリとセミ』だった。アリは一生懸命はたらき、セミは鳴いてばかりいる。イソップのギリシャやファーブルの育ったフランスの地中海沿岸は温暖で蝉がたくさんいたが、北ヨーロッパには蝉はいない。だから『アリとセミ』では話が通じない。そこでヨーロッパの翻訳者がセミをキリギリスに変えた。キリギリスなら北フランスやドイツにもたくさんいたからだ。

Semi いまの子供は遊ばない。原っぱもないし、森もない。そうかといって街にも、あまり子供の姿を見ない。実際に昆虫を手にとって感じとり、よく観察し、それによって命の大切さを知ることができるのに。そのために矢島さんは「群馬昆虫の森」を作ったのだという。ゲームも塾も無かったけれど、一日じゅう野原や山を駆け回って遊んだわれわれのほうが幸せだったのかも。


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コメント

私は
蟻のようで
気がついたら
キリギリスだった
何故なぜ?

投稿: みちこ | 2007.06.25 07:53

みちこさん、

ひたすら働いた
若いころ
余裕が出て
楽しみごとが増えた
今日この頃

投稿: ripple | 2007.06.25 13:36

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