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2005.02.16

隻手の声

霧雨が降っている。畑の向こうにシメが降りている。なにやら、つついている。買い物に出かけようかと思ったが、ゆうべ強い地震があったので二の足を踏んだ。

   sime04 シメ

録画しておいたビデオを見た。境野勝悟(さかいのかつのり)さんの「禅の人間学」という話だ。禅をすすめられて、何も知らずに三島のお寺で座禅をしたときの話がおもしろい。寒い12月の座禅で、夜11時に寝て、午前3時に起こされる。辛かったが、最後の日に老僧から、「ああ、ご苦労さんなこったなあ」と手を合わして労ってもらって感動した。そこで、禅とは宗教ではなく、自己の修練であることを学んだという。

禅僧を雲水と呼ぶが、それは彼らが雲の如く水の如く、自分を変えて、自分を捨てて、苦難を通り抜けてゆく姿を目指しているからだ。一生懸命に生き、その結果にはこだわらないというのである。

白隠禅師の「隻手の声を聞け」という公案を与えられ、一年間も悩んだという話もおもしろい。両手で叩けば音が出るが、隻手(せきしゅ=片手)では音が出るわけがない。でも、その音を聞けと言われれば、いったい何のことだろうと考えてしまう。その質問にとらわれてしまう。

   白隠の隻手の声を聞くよりも両手を打って商いをせん

おさんという婆さんはこう答えている。そんなことはどうでもいい、本来の仕事に精を出したらいいというのである。それを聞いた白隠禅師の歌はこうだ。

   商いが両手叩いてなるならば隻手の音は聞くにおよばず

境野さんは頭であれこれ悩んだあげく、「隻手の音が出ても出なくても、そんなことはどうでもいいことだ」と悟るのに、一年もかかったと笑っていた。

   桃紅李白薔薇紫 問起春風總不知

   桃は紅く、李は白く、バラは紫、これを春風に問えば知らず

桃の花があかく、すももの花が白く、バラの花が紫色に咲いている。その理由を春風にたずねたが、まったく分からないという。それは、おのずとそうなっているのである。自然は、自ずから然り、おのずからそうなっている。

もちろん、それは「なにもしなくていい」という意味ではない。それぞれが明るく精一杯生きてゆけば、おのずから成るように成る。大切なことは執着を持たないということなのだ。所詮、諸行無常なのだから。そういえば、鳥たちも一生懸命、生きている。


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コメント

2004年に小生が国立京都国際会議場で開催した日本消化器内視鏡学会総会で講演した内容を書籍にして学会役員関係者に1200冊配布したことがあります。参加者は7500人を超え経済的にも不安なく終えることができましたので非売品とし、他に500冊は定価を付けて全国の大学図書館に寄贈(定価がないと受け入れてくれません)しました。前者の表紙に駄作「双手の声が聞ゆなら、隻手の声とたのしくもあり」と書きました。市販本はその後も定価のままですが2008年夏頃にネットのアマゾンで3倍のプレミア価格が掲載されているのを発見しました。恐らく非売品の事と推測しています。タイトルは「内視鏡医のたわごと」白隠禅師の公案を巷で御存知の方がおられプレミアまでつけて下された評価に感謝しています。

投稿: 勝 健一 | 2009.02.05 16:18

★勝健一さん、
コメントありがとうございました。
いま、Amazon.co.jpでチェックしたら、たしかに『内視鏡医のたわごと』が売りに出ていました。高名なお医者様とお見受けいたします。

膳の修行をなさったことがあるのでしょうか。わたしは「日本ヴィパッサナー協会」に所属し、過去8回、10日間の瞑想コースに参加しております。第一回のとき、自分のからだが気体(波動)であることを体験し、ブッダの説く無のいったんに触れることができました。いらい、何度か瞑想コースに参加していますが、だんだん心が落ち着いていくのがわかります。膳は執着を取る修行なのだと、いまは思っています。

投稿: ripple | 2009.02.05 17:07

ripple 様
 早速に恐縮です。禅の修行はしたことはありませんが、中学生時代に学校から帰ってから1人で壁に向かい座り続けた時期がありました。父は静岡の禅寺に出入りしたり、宗派に関係なくお寺に手伝いに行く変な親父さんでした。小生は母校の教授に単身赴任以来座布を購入して時に座りながら大蔵経の律部の翻訳にチヤレンジしましたが55巻を4巻しか読めないままで定年を迎えて帰ってきました。在任中お彼岸の講話をさせて頂きました。マスターベイションに近い勉強ですのでお恥ずかしいものです。

投稿: 勝 健一 | 2009.02.05 18:00

★勝健一さま、
ここではみな「さん」づけで呼んでいますもので失礼いたしました。やはり、こういう言葉がすらっと浮かんでくるのは、禅の勉強の下地があったのですね。漢文の素養もあったとは恐れ入りました。正法眼蔵などもかじったのではないでしょうか。私はいきなり行から入りました。あまり宗教色のないヴィパッサナー瞑想です。ブッダもイエスも難しい理屈は説かなかったのではないかと思います。実践あるのみ、私はラッキーでした。(^-^)

投稿: ripple | 2009.02.05 22:37

正法眼蔵を購入したのはNHKの朝5:00~の「こころの時間」で「つまようじ」の元祖は道元禅師とであるとの話があり、小生の読んだ大蔵経(お釈迦様の言葉:三蔵法師が翻訳)にすでに書かれていることを知っていましたので疑問を抱きました。八重洲ブックセンターで全5巻?であったか購入して大阪に帰り一気に読んだことがありました。速読でしたのでパターン化した文字配列が頭に残り3週間ほど頭が割れるように痛かったことがを覚えています。昔に山之内製薬からサービスで配布されていた”あっとらんだむ”というコラムに書いたものです。「内視鏡医のたわごと」には「つまようじ」の題で掲載してあります。

投稿: 勝 健一 | 2009.02.05 22:54

★勝健一さま、
こんど「道元」が映画になりましたね。
ご覧になりましたか。私もまだですが
ぜひ見たいと思っています。(^-^)
道元も「只管打坐」を唱えていますね。


投稿: ripple | 2009.02.06 08:59

公案「隻手の声を聞け」について拙書に「「双手の声が聞ゆなら隻手の和音と楽しくもあり」(前記は間違い)と書いたことを前述しましたが、その意を説明いたします。片方の手のひらからは音が出ないことは衆知です。左甚五郎は左手だけで彫刻したのでしょうか?右手とのコラボレーションによって左手で名作が形造られたのではないでしょうか?左手しか無かったとしたら対側から支えた力と技を提供した者の存在は不要でしたでしょうか?子供に手でリズムをとらせた時に対側の楽器?手?膝?から音が出ていることを認知させねば独りよがりのリズムとなるでしょう。最近の医療において医者があるのではなく患う人がいるから医者があり、そこから新たに学ばせて頂いて更に学習させて頂いているという両者があって結果がでていることを教えていないのです。この思想は大学医学部では教えません。個人の試験成績をデジタル評価出来ることを科学とする思想の弊害と感じています。「相方の声を聞いて己の姿勢がその因であると楽しく幸せに感じる因と縁」と解しました。

投稿: 勝 健一 | 2009.02.07 16:18

★勝健一さん、
東洋医学の陰陽論と似ていますね。大極が陰陽に分かれ、それがまたそれぞれ分かれて四象を生ず。四象から八卦が生まれる。たとえば、男が陽で、女が陰。からだの外が陽で、中が陰。熱が陽で、冷えが陰…。
 ある名医の言葉が印象に残っています。「私の師は患者です」、けだし名言だと思いました。
 道元禅師の映画のタイトルは『禅』でした。

投稿: ripple | 2009.02.07 17:11

先日以前にロータリーで知り合った伊勢寺(伊勢物語の伊勢姫の寓居、JR高槻駅から行けます)のご住職さんから「禅」のビデオを送っていただき一人でゆっくりと拝見しました。数百年を経過したお寺なので現在平成の大修理とかで東京から宮大工さんに来てもらって数年かけての大工事だそうです(国宝ならば国から経費が出るのでしょうが喜捨だけでらしく、とんでもない億円の予算を見て驚いてしまいました。わずかですが一口お布施させていただきました)。御子息が駒沢大学を卒業して現在大本山総持寺に入山し禁足修行中でしばらくは娑婆に出られないようです。伝統を背負った方は大変です。その点医者などはいい加減?世俗的?娑婆臭い職業です。

投稿: 勝 健一 | 2009.06.19 01:53

★勝 健一さん、
本当に伝統を背負った方はたいへんだと思います。
とくに現代のように世の中の変化のスピードが恐ろしくい時代、そのなかで伝統を維持するのは御苦労の多いことと察します。伝統を維持することのなかに、大いなる喜びを感じなければできないことでしょう。しかしまた、今のように情報が氾濫し、人心が乱れているときこそ、禅の教えが役に立つ時もないのではないかとも思うものであります。

投稿: ripple | 2009.06.19 09:09

伊勢寺の工事進捗状況の写真がロータリークラブの会長の時に幹事をしてくれた建築会社社長のブログに出ていました。今の時代に大変な作業です。伝統を引き継ぐ方々の重荷が垣間見れます。「高槻こうじのブログ」となっています。伊勢物語の一端を語る解説札の写真も掲載されていました。小生は受験勉強をまとにしませんでしたので定年を過ぎた今になって興味がわいてきました。本屋で立ち読みしてみるつもりです。

投稿: 勝 健一 | 2009.12.20 10:45

★勝健一さん、
高槻こうじのブログ、拝見しました。
伝統を引き継ぐのは本当に大変なことだと思います。
勉強は、したいと思ったとき身につくものでしょう。
勝道雲がコメントをしておられました。健一さんですね。

投稿: ripple | 2009.12.21 09:12

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